私は大阪市南区(現・中央区)に1970年代初めまで両親、兄弟と住んでいました。家は大阪メトロ「心斎橋」駅の東にありました。当時の御堂筋は対向3車線でした。

 

御堂筋は幅44㍍、6車線が南行き一方通行です。東にある堺筋は北行き一方通行になっています。1970大阪万博の開催される2カ月前の1970年1月11日に一方通行となりました。NHKに詳しい経緯がありました。

(2022年6月1日)

 

2025大阪万博の会場の夢洲への道路のアクセスは「夢舞大橋」と夢咲トンネルだけです。舞洲にはオリックス・バファローズのスタジアムやミズノグループが運営するスポーツ施設の他、ホテルもあります。

 

2025大阪万博は開催準備が遅れているようです。「万博協会」も政府、大阪府・市も「間に合わせる」の一点張りです。「万博協会」関係者と建設業界には「遅れ」についての認識の開きがあるようです。「万博協会」事務総長がいう『年内着工なら間に合う』が正しいのかどうかは分かりませんが、建設業界の宮本洋一会長(清水建設会長)は建築のプロです。

 

一方で建設業運送業も残業時間の上限規制の「2024年問題」があります。建築作業者や建築資材等の輸送が困難になれば、建設工事に遅れが予想されます。工事関係者の車両が優先的に通行できるような工夫が必要に思います。半世紀以上前の1970大阪万博の方が、関係者が知恵を絞ったように思いました。

 

夢洲は此花区の西の端です。USJへの入場者や舞洲の利用者も多いです。

 

 

2025大阪万博のメインテーマは「いのち輝く未来社会のデザイン」です。「人」を大事にして尊重することは基本です。

 

今日は全国戦没者追悼式がありました。1931年の満州事変からの14年間は「人」を粗末に扱った時代でした。元号が昭和、平成、令和と変遷しても、上に立つ政治家の意識は変わらないのでしょうか?

 

建設業界としては「2024年問題」の中で、無理なく、外国政府他のパビリオンを建設したいと望んでいるのでしょう。私は「異常気象」の7、8月、台風シーズンの9月、場合によっては10月も避けた方が良いと個人的には考えています。「延期」を決定できるのはパリに本部のあるBIEです。政治家が「汗」をかくべきでしょう。