素直な心を養うためには、

素直な心になるということを、

日常たえず口に出して

唱えあうようにしてゆくことが大切である

 

 

≪後述≫

お互いが素直な心の大切さをよく認識し、

素直な心になりたいと強く願いつつ

日々の生活を営んでいくところから、

次第に素直な心が養われていくのではないかと思いますが、

実際には往々にして日々の忙しさにとりまぎれ、

素直な心になることをつい忘れてしまうということもあると思われます。

 

そこで、

お互いが素直な心になるということを忘れてしまうことのないように、

折にふれ、ときに応じて、

お互いに“素直な心になりましょう”とか

“素直な心になって”ということを、

いわば一つの合言葉のように口に出して

唱えあうということが必要ではないかと思います。

 

たとえば、

朝起きてお互いが顔を合わせたならば、

“おはようございます。

きょうも素直な心で過ごしましょう”とあいさつをかわす。

仕事の打ち合わせをする前には、

“それでは素直な心で検討しあいましょう”

とみんなで唱えてから話を始める。

また、

どういう話をする場合でも“素直に考えたならば、

こういうことになるのではないでしょうか”とか、

“素直に見て、このようにいえるでしょう”とかいうように、

絶えず互いに素直ということを口に出しつつ話を進める。

 

こういうように、

いってみれば寝てもさめても、いても立っても、

日常のすべての会話、行動の中において、

絶えず素直になるということを念頭におき、

それを口に出して唱えるわけです。

仏教においては、

“念仏三昧”というようなこともいうそうですが、

この場合はいわば“素直三昧”というようなことにもなるでしょう。

しかもそれは、

自分一人でも素直三昧をすると同時に、

互いにそういう姿を生み出していくわけです。

 

そういう素直三昧というような姿を

お互いがともどもにあらわしてゆくならば、

何を考えるにも素直に、何をするにも素直に、

というようにおのずと心掛けあってゆくようにもなるでしょうから、

そこから次第に、お互いともどもに素直な心で物事を考え、

判断するような姿に近づいていくこともできるのではないでしょうか。

 

もちろん、

ただそういうように口に出して唱えれば、

それで素直な心になれるのかというと、

必ずしもそうではないと思います。

口に出すということは、

それを忘れずに心掛けてゆくためであって、

そういう形に伴う実のある内容がなければならないと思います。

その実のある内容を備えていくためには、

やはり素直な心の意義というものを十二分に理解して、

素直な心そのものを養っていくことを

絶えず心掛けていくことが大切だと思うのです。

 

そのようにして、

実のある内容をともないつつ、しかもたえず形にあらわすというか、

お互いの合言葉として常に口に出して

素直になるということを唱えるようにしていくならば、

お互いに素直な心になるということを忘れることもなく、

絶えずそれを心掛けてゆくことができるでしょう。

だから、

そういうことも、

お互いが素直な心を実際に養っていくために

大切なことの一つになってくるのではないかと思うのです。

 

 

本日もあなたの貴重なお時間を頂戴し、

ありがとうございます。