素直な心を養うためには、

毎日、自分の行ないを反省して、

改めるべきは改めてゆくよう心がけることが大切である

 

 

≪後述≫

私たちが、何か物事を行ない、

それに成功していくために大切なことの一つとして、

反省ということがあげられると思います。

こういうことをしてみたいと考えて、それをやってみる。

そうすると、

うまくいくこともあるでしょうし、そうでないときもあると思います。

うまくいったらうまくいったで、

どうしてうまくいったかを考えてみる。

うまくいかなければ、

どこにうまくいかない原因があったかを考えてみる。

 

そのような反省をしては、

その結果を次のときに生かして、失敗をより少なくし、

よりうまくいくようにしていくことが大切だと思います。

そういう反省なしに、

ただ何となくやっていたのでは、同じ失敗をくり返したり、

なかなかうまくいかないということになると思うのです。

 

昔の中国の名言に

「治にいて乱を忘れず」ということばがあります。

これはつまり、

穏やかで平和な満ち足りた状態にあるから

といって安心しきって油断してはいけない、

いつまた情勢が変わって危機に陥るかもしれないのだから、

常にそれに備えて心を引き締めておくことが肝要である、

というようなことをいっているのだと思います。

 

たしかに、

そういった油断のない態度、心がけというものを保っていくならば、

個人としてもまた団体としても国家としても、

常に危なげのない姿を保持していくこともできる

のではないかと思います。

そして、

こういう名言がどうして生まれたのかを考えてみますと、

考え方はいろいろあるでしょうが、

一つにはやはり過去をふり返って

十分に反省をしたところから生まれてきたとも考えられると思います。

 

すなわち、

個人でも団体でも、

国家の場合でも、

事がおこって行き詰まるとか、

危機に直面してそれに打ち負かされてしまった

とかいうような姿をくり返しているわけです。

そこで、

なぜそういう姿がおこるのかを深く反省したところ、

しばらく好調な姿が続いたのでそれになれてしまい、

なすべき努力を怠り、必要な心くばりを忘れてしまっていた。

その結果、

時代の流れ、情勢の変化に相応ずることができないほど、

みずからの力が弱まっていた。

それでゆきづまってしまったのだ、

というようなことがわかったわけでしょう。

 

そういう反省から、

治にいて乱を忘れず

という名言も生まれてきたのではないかと思いますが、

そのように反省というものは、

みずからのあやまちを防ぎ、

よりよき明日を迎えるために極めて大切なことだと思うのです。

だからそういう反省は、

事がおこってからするよりも、

いわば日常一つひとつの事柄について反省を加える

ということが必要ではないかと思います。

 

したがって、

私たちが素直な心を養い高めていこうという場合も、

やはり日々自分を反省してみることが大切ではないでしょうか。

今日一日自分は素直な心で人に接し、物事をやっただろうか

あの時自分は、

腹が立っていて、ついその怒りにとらわれていたのではないだろうか。

ああいう意見をいったけれども、

あの考えは少しかたよっていなかっただろうか」

そういったことをいろいろ反省してみて、

次の時には、

なるべくそうならないように心がけていくわけです。

 

 

本日もあなたの貴重なお時間を頂戴し、

ありがとうございます。