素直な心がなければ、

率直にものを言うこともなく、

素直に耳も傾けないために、

互いの意思疎通が不十分となりがちである

 

 

≪後述≫

時折、

新聞などの報道でみる事件に、

両親に結婚を反対されたので思い誤って自殺したとか、

二人で心中したとかいった姿があります。

そしてそういう記事をみますと、

そのご両親などの談話として、

「二人がそれほど思いつめていたとは知らなかった。

こんなことになるくらいなら、結婚を許してやればよかった」

といったようなことばがのせられていることが少なくないようです。

 

これは、誠に痛ましい、気の毒な姿だと思います。

だからお互いに、こうした姿が起こって欲しくない、

ということをだれもが考えるだろうと思います。

ところが、実際にはくり返し起こっている、ということです。

いったいどうしてこういった姿がおこるのでしょうか。

 

考え方はいろいろあるでしょう。

が、やはり一つには、

そこに素直な心というものが働いていなかった、

ということもそういう姿のおこる原因の一つではないでしょうか。

というのは、

お互いが素直な心を持っていない場合には、

往々にして互いの意思疎通が不十分になってしまうと思うからです。

 

つまり、

お互いが素直な心を持っていなければ、

いろいろなことにとらわれたり、こだわったりして、

とかく率直にものが言えないといった姿にも陥りかねません。

また聞く側にしても、

自分なりの先入観や考えにとらわれがちとなって、

相手の言うことを素直にありのままに聞く

といった態度を見失いがちとなるでしょう。

 

ですから、

そこにとかく十分な意思疎通を欠く

といった姿もあらわれてくるわけです。

たとえば初めにあげた例でいえば、

子は子なりに、

「親たちはいくら言ってもどうせ理解はしてくれない。

子の気持ちなど親にはわからないんだ。

もういい、死んでやるから……」というように考えて、

親の気持ちを理解しようとはせずに行動に走ってしまった、

ということかもしれません。

 

また親の方は親の方で、

「まだ若くて生活力も十分にないうちに結婚すれば、

必ず本人たち自身が苦労して、ゆきづまってしまうだろう。

だから、今、二人が結婚することには反対だ。

この親心がなぜ二人にはわからないんだろう……」

という考えにとらわれて、

本人たちの真剣さには十分考えが及ばなかったのかもしれません。

 

しかし互いに素直な心があれば、

少なくとも意思疎通が悪いための悲劇というものは、

避けられるのではないでしょうか。

けれども素直な心というものがない場合には、

そうした意思疎通もとかく不十分となって、

そこにさまざまの好ましからざる姿をもたらしかねないわけです。

 

そしてそれは、

単に家庭内の問題に限らず、

会社などでも、また社会、国家といった大きな集団においても、

およそ共同生活というものにおいて

同じようなことがいえるのではないでしょうか。

つまり共同生活にお互いの意思疎通が十分でないと、

相手を理解しあうということも十分でなく、

また、お互いに疑いをもったり不信感を抱いたりして、

いろいろと好ましくない姿が生じてくることにもなりかねない、

というわけです。

 

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ありがとうございます。