素直な心がない場合には、

物事の一面のみを見て、

それにとらわれがちになってしまう

 

 

≪後述≫

お互い人間の精神面の苦しみ、

悩みというものは、

ときとしてみずからの命をたつほどに強く、

深いものがあるようです。

現に、

今日この世の中においても、

そうした悩みを抱き、

絶望してみずからの命をたってしまった

というまことに気の毒な姿が

しばしばくり返されているのではないかと思われます。

たとえば、

受験を前にした受験生が、自信をなくして自殺したとか、

事業に失敗した人が絶望のあまり自殺したとか、

あるいは失恋をしたとか人間関係がうまくいかない

などということで自殺したというような例が

少なくないように思うのです。

しかしこうした不幸な姿というものは、

やはりお互いの努力によって

なるべく少なくしてゆかなければならないと思います。

それでは、

そういった不幸な姿に結びつく悩みとか絶望というものは、

なぜ生じてくるのでしょうか。

これについては、もちろんそこにはそれぞれの事情があって、

一概にはいえないと思います。

また見方考え方もさまざまなものがあろうと思われます。

けれども、

総じていうならば、やはりそうした悩みなり絶望というものは、

物事の一面のみを見てそれにとらわれてしまう、

というようなところから生じてくる場合も少なくないのではないでしょうか。

だから、

同じ一つの物事であっても、それに対して、

いろいろな見方があり、

さまざまな面から考えることができるわけです。

だから、

一見してマイナスと思われるようなことでも、

実際にはそれなりのプラスがあるというのが世の常ではないかと思います。

いってみれば、

雨が降れば着物がぬれて困ると見る見方もある反面、

畑の作物をうるおしてくれると喜んで見る見方もあるわけです。

ところが、

そのうちの一面のみを見てそれにとらわれてしまうと、

いたずらに心を悩ませたり、

極端な場合は絶望してみずからの命をたつ

といったような不幸な姿にも陥りかねないわけです。

それではどうして、

そういった一面のみにとらわれるような姿に陥るのかというと、

それはやはり素直な心がないからではないかと思います。

つまり素直な心がない場合には、

往々にして一つのことにとらわれてしまったり、

自分の考えとか感情にとらわれてしまいます。

だから、

ついつい物事の一面だけしか目に入らず、

他の面まで見る心の余裕もなければ、

また視野というもの自体がひらけなくなる場合が多いと思われます。

したがって、

素直な心がない場合には、

物事のさまざまな面を見、考えることができず、

単に一面のみを見てそれにとらわれる

といった姿に陥ることにもなりかねません。

そしてそういうところから、

ここに述べたような

さまざまの不幸な姿が生じることにもなってくると思うのです。

 

 

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