子曰わく、

無為(むい)にして治まる者は

其れ舜(しゅん)なるか。

夫(そ)れ何をか為さんや。

己を恭々(うやうや)しくして

正しく南面(なんめん)するのみ。

 

 

≪解釈≫

孔子がおっしゃいました。

「自らは何もせずに

天下を治める事ができたのは舜(しゅん)だけだな。

いったい何をなされただろうか?

恭(うやうや)しい態度でありながら

君主として堂々として統治されただけなのだ。」

 

 

≪後述≫

舜(しゅん)は、

中国神話に登場する五帝の一人であり、

儒家により神聖視され、堯(ぎょう)と並んで堯舜と呼ばれ、

聖人と崇められた人物である。

 

舜(しゅん)は母を早くに亡くし、

継母と連子と父親と暮らしていたが、

父親達は連子に後を継がせるために、

隙あらば舜を殺そうと狙っていた。

舜(しゅん)はそんな父親に対しても孝を尽くした。

 

堯は舜を登用し、天下を摂政させた。

そうすると朝廷から悪人を追い出して百官が良く治まった。

 

舜は”無為の為政者”として

自分の身と心を修めるだけで徳治政治を実現していたという。

 

人民が自発的に法(倫理)を守りたくなるような

人格者であったということを伝える一章である。

舜は、自らは何も命令(強制)せず、

”修己治人”の理想の境地を体現した伝説上の人物と言える。

 

己を修めて人を治さむ

自分を修養して徳を積み、世を治めていくこと。

自分の修養に励んで徳を積み、その徳で人々を感化し、

世を正しく治めること。

 

本日も貴重なお時間を頂戴しまして有難うございます。
今日という日があなたにとって最良の日でありますように!

                         

                                  祈

苫米地英人集大成メソッド『オールライフコーチングプログラム』

 

 

 

≪孔子とは?!≫

名を丘,字を仲尼といい、

魯の陬(すう)(山東省:現在の山東省曲阜(きょくふ)市で)の生まれ。


父は叔梁紇(しゅくりょうこつ)、

母は身分の低い16歳の巫女であった

顔徴在(がんちょうざい)。

(詳細な記述はありません。)

紀元前552年(一説には551年)、

孔子は叔梁紇(しゅくりょうこつ)の庶子(父が認知した私生子)、

次男として生まれた。

 

孔子の身長は、九尺六寸(216cm)。

(春秋時代の1尺は、22.5cm)

 

漢民族は非常に大柄なのですが、

史記の記述には

「彼を見て驚き、長人と言う」とあります。

 

また、

「色黒で、長身で、はるか遠くを見つめるまなざし」

とあり、屈強、精悍、切れ者といったイメージの男

であったとされます。

 

孔子は前四七九年、73~74歳で没し、

曲阜の城北の泗水(しすい)のほとりに葬られた。

古代としては、大層な長生きです。

 

「夾谷の会」で華々しい活躍をした孔子は、

その後も魯の国で善政を広めました。

孔子は自らの理想とする政(まつりごと)を実施したようです。

 

魯の国で宰相を補佐し、国政に参加しました。

その後三ヶ月以内に、

魯の国では商売をする者で暴利を得る者は居なくなり、

男女の道を行く者は、自然と別々の道を歩くようになり、

風紀が保たれました。

さらに道に落し物があっては、

黙って拾って自分のものにすることが無い国になりなりました。

 

しかしながら、

宿願であった為政者としての経歴は、

中都の宰・司空・大司寇を務めた

五十二歳から五十六歳迄の間のわずか五年間しか続きませんでした。

自らが作り上げた安定が、

五年間で崩れ去ってしまうことを全く想像すらしていなかったことでしょう。

彼の政治はいつしか民衆に息苦しさとして受け取られ、

非難がどこからともなく湧いてきたのです。

そして、失脚。

孔子は自らの政治を誰も求めなくなったことを知りました。

彼は絶望と哀しみの中で決意をします。

それは自らを登用してくれる国を探し、

弟子たちを連れ、

十四年にもわたる長い流浪の旅(亡命生活)に出ることでした。

 

孔子は「和を以て貴しと為す」と遺しているように、

”人の和”を最も大切にした人です。

 

孔子の弟子は三千人にも達し、

その中で孔子は四つのことを教育していました。

一.道理を書き記した学問(文)

一.徳行を以て垂範すること。実践。(行)

一.自分の良心に忠実であることと、他人に対する思いやりが深いこと。(忠恕)

一.真心をもって約束を守り、偽ったり、欺いたりせず、

  真実で正しい道を守ること(信)

 

孔子は、

人々が陥りやすい四つのことを断ち切りました。

(子四を絶つ。意なく、必なく、固なく、我なし。)

その四つとは、

一.(主観的な)私意を通すこと、独断

一.無理押し、無理強い

一.固執、執着

一.我欲を張り通す

 

仁は遠からんや。

我、仁を欲すれば、ここに仁至る。

(仁は誰の心にもあり、

 仁を願う自分自身の心が呼び起こすものである。)

 

『論語』述而篇の中で

「孔子は温和だったが厳格、威厳があったが、

威圧感はなく、礼儀正しいが窮屈な人ではなかった」

と弟子たちが述べています。

孔子の傍にいる人に幸福感を与え、

しかもそれらの人を向上心に導く

理想的な先生だったのでしょう。


孔子の弟子たちは、

孔子との様々な人間模様を

今の世に遺してくれています。