「この建物だと思いますよ、多分」
ひなた屋でライブリハーサルを終えて、共演者のmoritoと夕暮れの美々津の町を散歩した。
ここが、kokage(多分、笑)か。
金丸君とカンちゃんの新しいビジネスのシェアハウス。Kokageは、そのお店の名前だ。
この町が盛り上がり、ビジネスが成功します様に!
そう祈りながら、kokage(であろう建物、笑)を後にした。
美々津の町並みには、美しい日本家屋の伝統がしっかり残されていた。
金丸君のおじいさんの功績との事。
世代を超えて町を守り発展させていく金丸家のDNAは粋だと思った。
おじいさんもご親戚も、きっととても嬉しくて誇らしい気持ちなんだろうな。
美々津の町は、歩いているだけでとても楽しかった。
海風を身近に感じられて、少し歩けば見晴らしのよい海の景色に出会える。
すぐ近くにサーフィンを楽しんでいる人たちの姿もあった。
まだまだ素敵なポイントがたくさんあるんだろうなぁ。
またじっくりと美々津を歩いてみたい。
moritoが、「この道、面白そうじゃないですか?」と言って細い路地に曲がると、生活感のある古民家ゾーンへと入った。
美々津は観光地でありながら、人々が昔からずっと暮らし続けている町でもある。
僕の祖母の家は兵庫県の田舎にあり、この路地の風景がは祖母の家の近所の風景と似ていたので、
亡くなった祖母にたくさん遊んでもらった小さい頃の楽しい記憶が蘇って懐かしく切ない気持ちになった。
通りには古民家を改装したお店がいくつもあった。
もっと時間があれば、ゆっくり入ってみたいオシャレなお店ばかりだった。
今度は家族と一緒に来たいと思った。
ひなた屋の隣にあるカフェで、moritoとライブ前の腹ごしらえをした。
moritoと会うのは、6年ぶり位だと思う。
彼とは10年程前に宮崎市のライブハウスで知り合った。
僕が宮崎を離れてからも、宮崎や東京で機会があれば会っていた。
お互いの家族の話、仕事の話、音楽の話、思い出話など、短い時間だったが久しぶりに色んな話をする事が出来てとても嬉しかった。
彼の声のやさしさと、相手を思いやる言葉の選び方は、昔のままだった。
相変わらずカッコいい男だなぁ。
ひなた屋へ戻ると、そこはすっかりライブ会場へと変わっていた。
スピーカーなどの音響設備があるからといった物理的な面でそう感じたのではなく、ライブを楽しみにされているお客さんのキラキラした表情や、飛び交う話し声。
その雰囲気がライブハウスそのものだった。
お客さん、スタッフ、出演者のみんなが今夜を楽しみにしている。
その空気を肌と心で感じて、別棟に用意してもらった楽屋で、出番まで準備を整えて時間を過ごした。
出演順はくじ引きの結果、1番川田、2番金丸、3番moritoの順となった。
僕は1番を希望していたので、希望通りになってホッとした。
会場を温めて次の演者へ繋ぐ、それが自分の役割だ。
川田ようすけ
「トップバッターは、会場を温める事が役割である。」
自分のその先入観が間違いだと気が付いたのは、1曲目の「朝陽」を歌い終わってからだった。
既にお客さんは臨戦態勢だったからだ。
会場のボルテージや、状況を感じ取り切れなかった自分の未熟さを痛感した。
早くお客さんの熱に追い付かなくては、と少し焦りながらライブを進めていった。
ステージから覚えている景色がいくつかある。
ステージを照らすたった1つの電球が放つ、暖色系の鈍い光。
この場所に派手な光は不要。音楽に集中できるベストな光の量と質だった。
客席のたくさんの黒い影。
電球で逆光になっていて、お客さんの表情は全く見えなかった。
お客さんの表情が見えない事で不安になる自分と、それでもお客さんの顔を見て届けたいと思い続ける自分が居た。
カウンターに居る金丸君、カンちゃん、ユウキくん、moritoの体の動き。
静かに俺を応援してくれている事がしっかりと伝わり、とても心強かった。
お客さんにあたたかく支えていただきながら、もう一つ掲げていた「自分が楽しむ姿を届けたい」、という目標をなんとか達成する事が出来たと思う。
反省点や課題点は山の様にある。
最後にふるさとをテーマにした新曲を、ひなた屋で歌う事が出来て良かった。
金丸文武
「俺が明日のライブで一番になる!」
昨晩、そう宣言していた通りになった。
シンガーソングライターとして、人様の時間とお金をいただく以上、ステージで非日常の世界を提供する事は、演者の最低条件だと思う。
また自分が誰よりも目立ちたい、そんな単純で純粋な欲は、活動モチベーションとして重要だと俺は思う。(勿論、そう思わない方もたくさんいらっしゃると思う)
金丸文武とは、10年前彼の主催する「一匹狼の遠吠え」に、ライブハウスを介して参加させてもらった事が、出会うきっかけだった。
「一匹狼の遠吠え」とは、シンガーソングライターがソロで己をぶつけ合う、シンプルな対決イベントだ。
具体的な勝ち負けがある訳ではなかったが、出演者全員が金丸文武の熱量に巻き込まれて、競い合い高め合っていた。
お客さんと演者の熱量と興奮が上がり続けて、衝撃と奇跡が生まれる素晴らしいイベントだったと記憶している。
話は戻り。
金丸文武のステージは、圧倒的な存在感と世界観で会場を魅了し続け、あっという間の60分間だった。
圧倒的な存在感とは、誰にも真似が出来ないオリジナリティだと思う。
オリジナリティを敢えて言葉にするならば、2つの矛盾する物が絶妙なバランスで在り続ける事だ。
ハスキーさと滑らかさ、過去の絶望と未来の希望、雄叫びと呟き、斬新さと懐かしさ、狂気とやわらかさ、強がりと寂しさ、などなど歌声ひとつを取ってもいくらでも表現が出来てしまう。
彼の音楽が、耳と心へ、鋭くあたたかく響き続けていた。
その余韻はいまでもしっかりと心に残り、熱は一切冷めていない。
ギターの音色は、低音のウォームさを残しつつ、中高音でジャキジャキ鳴り響いていて、優しく時も、激しい時もどちらもが心地よかった。
5.000円の音色とは思えない、Pearl製のアコースティックギター。
感情を代弁するように伸びやかにベンドするハープからは、言葉以上の感情が伝わる場面が幾度もあった。
歌声とギターとハープだけで、もう十分。
彼の音楽は、弾き語りが完成形だと思う。
また自分を客観的に分析できる名人でもあり、楽曲構成・ステージング・曲間・トークの緩急などが徹底的で緻密に計算し尽くされていた。
最高で最強の状態になるまで、努力を一切惜しまない男。
日々の仕事で多忙な中、また音楽としばらく離れてブランクがある中で、よくここまで仕上げれたものだと尊敬と感動を覚えた。
もう、この人は無敵だ。
そう思い知らされて、ズタズタに価値観を打ちのめされた。
またMCでは共演者の話を一切しないスタイルに、強烈な拘りと美学を感じた。
自己表現中に、他者の音楽要素は不要なのだ、本来。
若い頃の僕ならば共演者に失礼なのでは、と腹を立てていたかも知れないが、
普段の金丸文武の性格や気遣いを知っているからこそ、ただただ尊敬の念を感じ続けていた。
音楽に対する愛、奥さんのカンちゃんに対する愛、故郷の美々津へ愛に溢れていた。
勇気と希望を届けてくれた、金丸文武らしい最高のライブだった。
morito
「ライブ本番へ向かう道のりは、アスリートに似ていますよね。」
鼻の空気の通りが悪くなり、歌いにくくなる状態になる時があるそう。
彼が信頼している先生の教えで、彼の片方の脚首には鼻に良いとされるツボを温めながら同時に圧もかける事が出来る、
特殊なパーツの付いたサポーターが巻き付けられていた。
ステージに立ったmorito。
黒い瞳と落ち着いた表情は、静かに燃える炎の様だった。
金丸文武の熱気がしっかりと残るステージ。
どのようにライブを進めていけばお客さんに喜んでいただけるか、またイベントをトリとしての努めをしっかりと考えられた、落ち着いた優しさに満ちたステージだった。
丁寧で優しいmoritoの楽曲と性格に、お客さんがどんどん引き寄せられていくのを、最後方から眺めていた。
とても優しい気持ちにさせられた。
楽しい時間はあっという間に終わってしまった。
小さな町に全国各地からそれぞれの想いを持って集まったお客さん40数名、ひなた屋のスタッフのみなさん、出演者、全員でつくり上げた奇跡の夜だった。
素敵な夜をありがとうございました。
最後に。
僕は10年前、宮崎県に約2年間住んでいた事があり、日向には何度も仕事で来ていました。
体調不良を理由に仕事を辞めた最後の勤務地が日向でした。
それから地元の兵庫へ戻り、治療を終えた後に3度 宮崎県へ来る機会がありましたが、
日向に来ることは一度もなく、今回10年ぶりに戻ってくることが出来ました。
ライブ当日の朝。
ホテルから日向市駅までの道をゆっくりと歩いていると、10年前の記憶や気持ちを思い出しまていました。
吐く息はしっかりと白かった。
駅のホームに北からやってきた電車が、ゆっくり停車した。
10年前の自分へ「今、俺は元気だぞ!」と、さよならを告げて美々津へと向かう電車へ乗り込んだ。
長々と書きましたが、最後まで読んでくださりありがとうございました。