6月20日(木)13°→23°、曇天&小雨。6700歩。

 

午前 散歩がてらウエスタンに。R-1、白菜など。堤防を鉄橋→堰→ウエスタン→自宅・・約6500歩ほど。

 

午後 PC、読書

 

6月22日(土)13°→25°、暖気戻る、5000歩。

 

午前 同伴でイオン西に買いだし。関内散歩5000歩ほど。

 

午後 読書 高田郁『あきない世傳』12・13読了。物語の筋はたわいのない出世、成功談。さりながら、江戸の商家や庶民生活に関することでいろいろ勉強になった本だ。

 

 仙貸紙、 海老繋(伝統模様和柄の一種らしいが、ネットでは画像に行き当たらなかった/それにしても和柄といのも豊富にあったらしい)

 

「お気の毒様 蝿の頭」

  江戸時代(何時の頃かは判らない)蝿の頭には「毒」と思われていて、お気の「毒」に掛けた冷やかしことば。深川遊郭が発祥とか。

『菜根譚』 書名のみ知っているが・・。現代語訳も出ているようだ。そのうち。

四十八茶百鼠

江戸時代に奢侈禁止令が発令され、これは布の種類から色までをも指定したもの。特に町人は派手でカラフルな色は禁止され「お構いなしの色」と呼ばれた茶色、鼠色に限られていた。
 そこで、膨大な種類の僅差の色が生み出されました。四十八茶百鼠は沢山の色というほどの意味らしい。

 

仙齋茶、団十郎茶 利休鼠 などなど。

 

そういえば、北原白秋の「城ヶ島の・・」にある「利休鼠」

が、なんで「ネズミ」と、不思議だった幼少を想起した。

 

6月20日(日)13°→24°くもり 3500歩。

午前  運び役でダイイチに、3500歩、畑キューリの世話、なにやらトマトも茄も元気がない。大葉初収穫。

 

今日は、沖縄慰霊の日、NHKはじめテレビは、「反省」「反戦」一色。

産経新聞『産経抄』が出色。以下再録。(赤字引用者)

 

<産経抄>平和は尊い犠牲の上に、沖縄慰霊の日   

 

 

特攻兵器「桜花」の搭乗員が別れの盃を交わした地点に建つ「桜花の碑」=鹿児島県鹿屋市

 

特攻兵器「桜花」の搭乗員が別れの盃を交わした地点に建つ「桜花の碑」=鹿児島県鹿屋市

  79年前のこの時節、多くの特攻隊員が若い命を散らせた。<たらちねの母の教えを守りつつ敵艦と共に我は散りゆく>。この辞世を残した高野次郎海軍中尉は22歳だった。『太平洋戦争将兵万葉集』(東京堂出版)に略歴がある。

▼第八神雷桜花隊員。昭和20年5月11日、沖縄に特攻戦死―。「神雷」は特攻を専門とした部隊の一つで、「桜花」は機首に大型の爆弾を搭載し、操縦席と木製の翼を取り付けた構造だった。米軍艦船の近くまで母機で運ばれ、標的へと滑降した。

▼生還を想定したものではない。それゆえに、「人間爆弾」とも呼ばれたそうである。沖縄の海では駆逐艦1隻を沈めたものの、多くが体当たりの前に撃墜されている。関東、東北、四国、九州…。『将兵万葉集』によれば、各地の若者が沖縄へ向けて出撃していることが分かる。

▼冒頭の高野中尉は富山出身だ。「祖国」を守る。その一念を貫いた戦いだったろう。沖縄はきょう、「慰霊の日」を迎えた。3カ月に及んだ沖縄戦では、日本の将兵と県民、米側を合わせて、約20万人が亡くなった。哀悼の誠をささげる日である。

▼「戦後80年」を前に、日本を取り巻く国際情勢は緊迫している。露朝はつい先日、軍事面などで手を結び、中国は台湾や尖閣諸島への野心を隠そうともしない。沖縄はこの先も、国防の最前線であり続ける。再び戦場にしないためにも、南西諸島を含む抑止力の強化を急ぎたい。

▼海軍報道班員として神雷部隊に同行した作家の山岡荘八は、高野中尉の出撃を見送ったという。その様子を伝える遺族への手紙に次の句を添えた。<散る花の眉の清しき五月晴れ>。自身を盾に、国を守った人々がいる。その尊い犠牲の上に、いまの平和がある。