4月13日(土)朝2°→最高20°/晴れ/

午前 ダイイチスーパにお使い。安売りリンゴ3個購入、序でに「二階堂25°」。歩数3500

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帰って読書。『まいまいつぶろ』第2章、第3章。

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午後、雪割り1時間ほど。一汗かく。菜園はまだ膝下くらいまでの残雪。これを陽の当たるところに運び出せねば。

 

一休み後、校長栄転挨拶返信1枚書く。いじめ事件で全国ニュースになった某中学のような醜態に注意と憎まれ口。

 

後、/『腹黒い世界の常識』少し読む。「強い者だけが弱い者を守れる」国家は強くなければ国民を守れないと。アメリカは日米安保条約をいつでも廃棄できる。日米安保条約は以前片務条約だ。米議会外交委員長マツコールの来日の岸田との戦略会談を潰したのは林外相だった。台湾、韓国は総統、大統領が会談に応じる待遇をしたのに、などなど。

 

一昨日4月11日(木)の『産経』新聞『正論』コラム再掲。森田療法とフロイトは表裏の関係。

引用開始。

<正論>精神医学における「仕事」の意味 
拓殖大学顧問・渡辺利夫
2024/4/11 08:00
齢(よわい)、80代の半ばに入った。日本人男子の平均寿命を超えてさしたる不調もなく生活を送っている。健康というべきであろう。何か心得でもあるのかと問われることがあるが、ない。著述を生きがいとして倦(う)まず働いていることが健康の原因なのかもしれないとは思う。

仕事こそが心身を健やかに
精神医学の有力な学説によれば、仕事こそが心身を健やかに保つための欠かすことのできないものだという。仕事とは字義通り「事に仕える」ことである。人間が自分以外の対象(事)に働きかけ対象と合一できる無二のものが仕事である。自然生命体としての人間は、そもそも活動しないわけにはいかない。内臓の筋肉は絶えざる運動を要求する。内臓はわれわれの意思のいかんにかかわらず常に動いて身体の活動を促す。五官は心身の外界への反応を強いてやまない。活動こそが自然であり無為は反自然である。

日本の精神医学において顕著な業績を残した森田正馬(まさたけ)によれば、予期恐怖に囚(とら)われて行動を忌み嫌う神経症者にともかくも一つでも仕事を成し遂げさせ、抑鬱的な気分にあっても何ごとかをなし得たという体験的な自信を与え、心身機能発揚の爽快を感じさせ、この感覚を会得させる、この反復により己の精神の内界を見つめて煩悶(はんもん)を繰り返してきた症者の「即我的態度」は、仕事という具体的な対象に向かい、それに没入するという「即物的態度」へと、つまりは内向から外向へと変化していく。症者が仕事に没入し、これにわれを忘れるようになった時、症状は消滅していることを森田は何度も観察し、仕事を通じてなされる心身機能の発揚が神経症の克服にとっていかに重要性をもつのかを悟らされたのである。

神経症とは、特定の病覚に主観的に囚われて膠着(こうちゃく)した心の状態である。その囚われから放たれて精神が流露していくとともに神経症は治癒する。言いかえれば、神経症とは、過度の意識性が一点のみに局限されて、一点以外への意識性が希薄化した心の状態のことである。

心理的葛藤を消滅に導く
したがって人間感情のすべてに意識が万遍なく行き渡り、特定の一点への意識集中が相対的に「水位」を下げていくこと、これが神経症の治癒である。すなわち、森田にとっての神経症の治癒とは「意識の無意識化」である。

そう表現したのは、森田の学説が世に認められ始めた頃に、日本の精神医学に大きな影響を与えたフロイトの精神分析学と森田療法とを対比させたいからである。精神分析学における神経症治癒の仕組みは、森田のそれとは対照的に「無意識の意識化」である。

人間の心の中には当人も気がついていない無意識の領域が存在し、これが神経症発症の素地となるとフロイトはみなした。症者の人間生活上の欲望、特に性衝動と、これを意識すまいとする抑圧との葛藤が神経症の原因だと考えた。フロイトの説においては、神経症が形成されるには「心的外傷経験」が抑圧されてつくられた無意識領域が存在しなければならず、この無意識が意識化されれば症状は消失する、というのである。

無意識を意識化するためには、症者の心の抑圧機構を解除し、症状形成の要因である心的葛藤から症者を解放させることが必要となる。療法的にいえば、症者の記憶を症者と医師との精神分析的な対話によって探り、抑圧によって無意識化されていた領域にたどり着き、抑圧が成立した因果関係に医師が解釈を与え、そうして「無意識の意識化」を図って心理的葛藤を消滅に導く。

まっとうな人生送るには
フロイトと対照的に、過度に意識化された不安、恐怖への囚われを、心身の外からの刺激に応じて流転する精神の「本然」に立ち返らせ、不安、恐怖をそのままに認めさせて、これを意識的世界の彼方(かなた)に消滅させ、没却させ、無意識化させること、つまりは「意識の無意識化」が森田療法の基本的な考えである。

そして症者の意識を無意識化させるための療法上の試みが「仕事」である。仕事を通じて人間の心身機能を存分に発揮させ、外界の対象に自己合一させるという経験を症者に積ませることにより精神の内界を観察して懊悩(おうのう)する「即我的態度」を「即物的態度」に変化させ、症者の精神を仕事の中で流転させることにより神経症的な苦しみから救出する。森田療法の核心である。

癌(がん)に対する不安や恐怖に揺り動かされて検診を繰り返し、時にその異常を指摘されて精密検査などを繰り返すうちに、人々は容易に癌恐怖という強迫神経症に陥ってしまう。そういう医療・医学環境の中に私どもが住まっているという自覚が必要であろう。そのような環境の中で私どもがまっとうな人生を送るにはどうしたらいいのか。「事に仕える」より他ない。「人間の本性は働くようにできている」。ヒルティの幸福論の一節である。

(わたなべ としお)