子供の頃、夏になると庭の木にたくさんの蝉の抜け殻をみつけた。最近では、クマゼミが都会でもみられるらしいが、記憶にあるのは、翅に色のついた蝉ばかりだった。夏の終わりに鳴く、ツクツクボウシさえも、捕るのが難しかった。透明の翅をもつ蝉は、僕らの憧れだった。油蝉の脱皮は大抵、夜から明け方にかけておこなわれる。それを、夜遅くや明け方早くに起きて、何度か見た。あまりにも動作がのろいので、薄く緑がかった乳白色の蝉が、次第に色を濃くしていくのを、最初から最後まで見たことはなかった。大抵は、母親に見ていてもらって、いい頃合になると知らせてもらっていた。おそらく、母は一度目の手術の後で、穏やかな暮らしを確かめるように過ごしていた頃だった。そんなことには気づかずに、久しぶりに家に帰ってきた母に僕は甘えてばかりいた。蝉の様子をみていてもらうのも、甘えのひとつだったのかも知れない。しばらくして、母の病気は再発して、離れた町の病院に入院し、まもなく亡くなった。蝉の抜け殻をみつけると、そのときの母を思い出す。



棕櫚の木の根方にころがる空蝉を拾いし人の影をかなしむ