小5の4月から新聞配達をする事になった。
2つ年上の近所の男の子が何年間かやっていたのを中学校に上がるので、子供が多い家に声が掛かったのだ。
少しはお小遣いが貰えるかも…という少しの期待を胸に引き受けた。
1つ年下の弟と半分子で配る事に決めた。
朝は早いので、早起きが苦手な母ではなく、祖母が起こしてくれた。
眠い目を擦りながら弟と二人、配る順番に新聞を並べていく。
どちらが早く配り終わるか…と競走した。
夏は蛇に怯え、冬は雪の道を霜焼けを作りながら…。
しかし祖母は起こすだけでは足りなかった。
ある日、私か弟のどちらかが風邪をひいた事があった。
祖母は代わりに自分が配ると言い出したのだ。
明治生まれの女なので漢字があまり読めなかった。
「字が読めないから無理だよ」と弟と話してはいたものの祖母の記憶力は凄かった。
子供の頃からこの地に生まれ育った。
順番さえ教えれば字が読めなくても間違えることなく配った。
その後、私が中学生になり、1年後には弟が中学生になってしまうと祖母一人で新聞配達をする事となった。
新聞は変わらず私や弟が順番に並べた。
祖母の新聞配達は私が高1の5月、6月頃まで続いた。
ある日の晩御飯の時間。
祖母は布巾を取ろうとおかずの向こう側に手を伸ばし、それを掴んだ。
瞬間!みんな「なにしてんの!」と声を上げた。
祖母が掴んだのはピンク色の布巾ではなく、小鉢に入った「紅生姜」だったのだ。
祖母は白内障で視力が殆どなかったのだ。
いつからなのか、誰もわからなかった。
ただ思い起こせば出先で転んで怪我をして帰って来た事もあった。
病院では「殆ど見えていない」と言われ、母はショックを受けていた。
私だったら怖くて外に出る事すら出来なかっただろう。
卑屈になったかもしれない。
でも祖母は明るかった。
目の前は暗くても…
しっかり見て歩いていたのだ。