わたくし、病人として救急車にのったのは初めてでした。
夜、品川駅について
何の気なしに降りて
トイレに行ってからが大変でした。
ただ一つ言えることは、
あのまま電車に乗り続けていたら
電車を止めていたかもしれないので、
とにかく品川で電車を降りたことはファインプレイでした\(^o^)/
品川の救護室で1時間ほど休ませてもらったものの、
全く回復せず、
歩いて近くのホテルにいける気も、
ましてや、そのまままた1時間近くも電車に揺られて帰れる気も
全くしなかったので
救急車を呼んでもらいました。
いやー、
救急車で品川駅校内を通るときは毛布で顔まで覆われていたものの、
気が張っていたからか、
一番まともな状態でした。
救急隊のおじさんたちはとても優しかったです。
カーブや揺れのたびに顔を歪ませていたら、
メニエールとは伝えてあったので、
おじさんがドライバーさんに、
カーブはスピード落としてあげてー!
メニエールにはつらいんだよー!
って言ってくれました。
まぁ、明らかにメニエールのせいでつらいのではないのですが、
この際、揺れや遠心力が減ればいいのです。
救急車の中で過呼吸をおこして、
全身(内蔵まで!)痺れたときは恐怖でした。
だって、手なんて痺れてグーのままひらけなくなったんだから!
あなどるなかれ、過呼吸。
受け入れの病院がなかなか見つからなくて
その間にどんどん具合は悪くなって。
あのまま無理に電車で帰らなくて正解だったと思う一方で、
救急の妊婦さんの受け入れ先がなくて問題になってた話を思い出しました。
妊婦さんのつらさがわかったよ。
頼むよ、病院。
とりあえず病院でみてもらえるという安心感、
逆に、
それがいつになるか分からない不安は大きいんだよ?
その晩は
ようやく見つかった受け入れ先の某都立病院で救急で見てもらい、
血液検査と点滴をうったものの、入院の受け入れができない(何か理由を言っていたけど意識朦朧で覚えてない)と言われ
(こんな真夜中に、ひとりで歩けない人間に、電車で1時間半も離れた家まで帰れって言うなんて、なんて病院は薄情なんだ!と思いました。タクシーで帰るにしたって長時間の車の揺れはつらすぎですから!!!と今なら言える。)
夜中0時すぎにようやく両親が迎えにきてくれました。
おりよく検査結果もでたので一緒に聞いてもらいました。
お医者さんからは、明日悪化するようだったら、日中の病院に行ってくださいと言われました。(完全に、もう大丈夫でしょ的な扱いでしたね)
血液検査の結果ってくれないんだね、普通くれるよね?って疑問に思ってたのに、
もはや喋る力もない私。
看護婦さん、ハンパなく怖かったし。
帰宅したのは2時過ぎ。
そこから一睡もできないまま朝をむかえ、
昼を迎え。
その間に過呼吸も何度かおこし。
※今回の私のメインの病はもちろん過呼吸ではありません。
病状よくなりませんけど!(笑)
ということで実家から遠くない総合病院へ行きました。
あっという間に入院となりました。
救急で運ばれた病院で帰宅させられたくらいだから、翌日には退院だろうと思いきや、既に3日目。
うん?私いつ退院できるの?
点滴は常に左腕にオン。
その腕をかばってしまっているようで、左手がむくんでます。
(エコノミー症候群みたいね)
なのでたまに意識して動かしてます。
点滴がからっぽになるからなのか、2回ほど血が逆流してしまって、
その血を戻してもらいましたが、これがなかなか、予想外に痛かったです。
それはいいとして。
こうして通話以外は携帯電話使用可と言われてよかったです。
入院すると分かっていたらいろいろ本とか雑誌とかもってきたところですが、
まさか入院とは思わなかったので、何も持ってきませんでした。
というわけで
入院とは元気になってくると、
病気との戦いと同じくらいつらい
退屈との戦いが待っているのだと分かりました。
こちらの病院のお医者さんも看護婦さんもとても感じがいいです。
とくにいつもお世話してくれる看護婦さん、ほんとに白衣の天使。
ほんとに優しい。
どこかの都立病院の看護婦さんに彼女たちの優しさの一部でもあれば、あんな怖い思いもしなかったのに(笑)
ところで私
いつ退院できるの?
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