ひょんな流れから、利用者様と一緒に外出することになった。
正直、最初は深く考えていなかった。
ただ、ヘルパーとしての在り方を考えたとき、この行動は一度立ち止まる必要があると感じた。
そこで、事前にサービス提供責任者へ相談。
結果として、この時間は「意味のある支援」へと変わった。
今回が、その方との初めての1対1での外出支援。
他の利用者様での経験もあり、不思議と不安はなかった。
むしろ、自然に流れに乗るように、その時間は始まった。
向かったのは、本人が普段から利用している飲食店。
車椅子のまま入れることが、この店の魅力だという。
店に入り、いつも通りの食事介助。
ビールを飲ませるのは初めてだったが、基本ができていれば、特に問題はない。
すべては、静かに、当たり前のように進んでいった。
空気が緩んだ頃、少しずつ“本音”に触れていく。
これは意図してやったことでもある。
ただ楽しい時間で終わらせるのではなく、その人の内側にあるものに触れるために。
やがて本人が語り出す。
今の生活への違和感。
障害者として生きることへの疑問。
そして、「この世界を変えたい」という想い。
地方にはあるバリアフリーが、都市には少ないという現実。
便利になったと言われる公共交通機関への違和感。
それでも、自分も誰かの役に立ちたいと語る姿。
実際に、電動車椅子でできる範囲で、
高齢者へ物資を運ぶようなこともしているという。
ただ――
「どうやって形にすればいいか分からない」
そこに、止まっている。
その言葉を聞いたとき、ひとつの確信に変わった。
支援とは何か。
それは単なる生活の補助ではない。
寄り添うことだけでもない。
その人の中にある“可能性”を、現実に繋げること。
そのために、考え、設計し、伴走すること。
そこまでやって、初めて支援になるのではないかと思った。
店を出て、ほろ酔いのまま並んで帰る。
さっきまでの言葉の熱量が、まだ身体の奥に残っている。
吹き抜ける夜風が、その熱を少しずつ整えていく。
冷ますんじゃなく、ちょうどいい温度にしていくような風だった。
多くは語らない。
でも、同じ時間を共有した確かな感覚だけが残る。
あの帰り道は、ただの帰路じゃない。
関係が一歩、深まった時間だった。
そして、自分の中でひとつの言葉に辿り着く。
「愛」ではない。
もっと本質的で、もっと責任のあるもの。
それは――
慈愛。
相手を受け入れるだけではなく、
その人の本質や可能性に働きかけていく関わり。
今回の時間は、その在り方を強く教えてくれた。