前回、トランプがらみで読んだアメリカのキリスト教関連の橋爪本の続きです。

森本あんり, 2019(2006), 『キリスト教でたどるアメリカ史』, 角川書店(新教出版社).

 

今回は写真があった方がよさそうなので、橋爪本と一緒に載っけておきます。文庫本で角川から出ていますが、元々は新教出版社という、宗教系かと思われるところから出ている本です。文庫なので840円、角川としては高いけど、内容からして角川っぽくないし、岩波とかと比べるとまぁまぁのお手軽価格という感じです。


で、前回のアメリカのキリスト教に関する橋爪本の続きで読んだのですが、橋爪本で苦戦したためか、こちらの方が楽に読めました。ただ、歴史系の書籍の常なのか、一番古い植民地時代が一番詳しく、メガチャーチとかテレビ伝導とかいったやや最近の時代は、ちょっと記述が弱いでしょうか。その辺の詳しい情報があるとよかったのですけどね。ただ、弱いながらもいろいろと情報はあって、

  • トランプと宗教とのつながりは改革派のピールにある
  • 古くはジャズ、最近ではメタルを「悪魔の音楽」とするのはコムストックが原因だった
  • オクラホマの爆弾事件などを引き起こしたキリスト教原理主義者は、その名称をイスラム教に押しつけて「福音派」と名乗ることとした
  • スパゲティモンスター教の登場の原因も、原理主義者の登場期あたりにあるらしい

などなど、すでに知っている情報とつながってくる感じです。

福音派についてはこれまで定義がいまいち混乱していたのですが、要は「原典派(つまり聖書に書いてあることだけが正しいとする一派)」という意味で、広義というか本来はプロテスタント全般を指す言葉だったけど、原理主義者が自称したために狭義には原理主義者を指す言葉となったという理解でまとめてよさそうです。ただ、なんか狭義の定義については、原典派といいながら、解釈による原典改編がひどすぎるというか、ほとんど二次創作に近い状態のような気がしますが....。あるいは、旧教と新教、あるいは新教同士の対立は、結局のところ解釈を巡ってのヘゲモニー争いなのかもしれません。まぁ、結局はどこが解釈(あるいは定義)という宗教的権力握るかという話で、なんやかんやでその解釈や定義という宗教的権力に宗教的利権も結びついているという話なのでしょう。

この辺の理解のための鍵がメガチャーチ成立期にありそうな気がするのですが、どうなんでしょうかね。あと、このメガチャーチ成立期にルーツがある諸々の事象を、アメリカのキリスト教の伝統だと言い張るケースがあるように思えますが、それらを植民地時代からの伝統だとしてしまうのは、ちょっとミスリードにつながりそうな気がするんですよね。その意味でも、テレビ伝統期などの比較的新しい時代の分析は欲しいところです。同様のことは日本でもよくある話なんですけどね(伝統だといわれるものが意外と歴史がないとかです)。

 

まぁ、このあたりになると歴史学ではなく、現代社会論の守備範囲なのかもしれませんが....。

余談ですが、一番笑ったのは148ページのトゥルースの演説の引用でした。