「真我開発講座で感じた愛と感謝の心で生きていきたいと思った方?一瞬でも思った方?」
こんな感じの投げかけを学長はよく言われる。
私はこの質問に手を挙げたことがなかった。
そして、この問いを、ずっと考え続けていた。
今日になり、やっと整理がついた。
本当に長い時間がかかった。
去年5月のブログにも、この内容のことを書いていた。
今読み返してみて、当時も「人間の五感で捉えたものだから偽物だ」
と書いてあった。
けど、整理できないでいた。
真我が溢れてきた瞬間
を「頭」で捉えていたから、そのこと自体を「三日月」だと感じていたらしい。
このことに気づかなかった。
だから、ずっと、手が挙げられなかったのか。
あの「感じたこと」だったのか。
こっちか
と思う程に、衝撃だった。
私って、どこまでも、頭だよなぁ~。
先日、ナスペックの「最新講話ダイジェスト」の「満月教育研究会②」を読んでみて、やっと何かが整理された。
あの質問は、私がした質問だったのだけど、学長の回答を覚えていない。
先日、音声と文字を読んでみて、やっと整理されてきた。
「その瞬間の話をしてるんです、私。
だって、その瞬間ずうっとやってる人、一人もいないんだから。
その瞬間は同じなんです、みんなと。全く同じで。
でも、それも本当の月の実の姿とは限らない。
限らないって、それも認識でしょう?
近くに寄ってみても、遠くから5円玉に入るお月さまを見ても、両方とも認識だから、おっしゃる通りなんです。でも、実の自分の姿とは言えないわけ。
ただ、素晴らしい自分であることは間違いない。
さらに、さらに、さらに素晴らしい自分がいるということです。
比べものにならない。
あの時泣いて、最高の自分に気づいたけど、その何千倍、何万倍の自分がいると思ったらいい。
だって、あれは一瞬を味わっただけですから。
その一瞬を味わったのをずうっと1年中そういう気持ちがどんどん進化していったら、どうなると思います?
開いた真我が止まらなくなって、勝手に開かれて、勝手に今日よりも明日、明日よりも明後日、次の日もずうっと秒単位で変わっていく。
それが生涯続いたら、どうなると思います?」
今年の5月、この話を聞いて、ずっと渇望していたものに出会えた様な、強烈な印象があり、涙した。
それなのに・・・
全く覚えていなかった。
感動したことは覚えていたけれど、何に感動したのか・・・
サッパリだった。
うーん・・・
人生という時間を無駄にしてないか?自分・・・
そして、今日になり、やっと
こっちか
と気づいたのでした。
あ・・・・遅っ
うーん・・・・・・・・