はじめに

参考にした史料は古代の中国史料を除いて、日本人、中国人による解説書だが、山形氏の著書を除いてほとんどすべてが倭国の位置を日本列島内、沖縄などに仮定しており、日本の地名に合わせて倭人伝の地を特定しようと努力されているが、これは全くの無駄な作業である。なにしろ当時の倭国は日本列島内や沖縄には存在しなかったからである。

しかし位置の特定以外は卓見も多く、それらは十分感謝して生かして使わさせていただいていることをおことわりしておく。

 

女王国と関係する他国との位置関係を整理すると

 

帯方郡―韓国―倭の北岸狗邪韓国(韓国と書いてあるので倭国ではない)―女王国―狗奴国―東に渡海したところに同じ倭種の国

 

女王国(倭国)の内部について倭人伝に「女王国より以北はその戸数・道理を得て略載できるが、そのほかの国は遠絶の地で戸数・道理を得ることができないので、詳細はわからない」としている。

 

この文章を正しく理解するには、一つの前提を置かなければならない。すなわち、陳寿は「女王国を広義と狭義の2つに使い分けていた」という徐堯輝の説にしたがって、

広義の女王国=倭国、 狭義の女王国=邪馬台国

とする。

 

このように分類すると、

女王国以北の「女王国」は狭義の女王国の王都「邪馬台国」と解釈できるので、以下の説明がスムーズに可能となる。

 

「邪馬台国以北」の戸数・道理を略載できる国は:

対馬島―一支島―末ろ島―伊都国―奴国―不彌国-投馬国―邪馬台国の計8国

となる。

 

そうすると、その他の国はどこにあるのか?

狗邪韓国からはおおむね南の方向に旅程は進んでいること、邪馬台国以北の略載があることからその他の21国は邪馬台国以北には存在しないことになる。また女王国の南には狗奴国があることから、21国は邪馬台国以南にあると考えた方が自然である。

 

邪馬台国以南の国々:

奴国の重出を含んで計21国

 

奴国は伊都国の東南にあることが記載されている。王都邪馬台国より以北の国である。

ところが女王国の境界が奴国であるとも書いてある。これが正しいとすると、女王国は伊都国の東南の奴国が境界となってしまい、投馬国も邪馬台国も存在できなくなる。

これについて諸説あるが、私は単なる重出ではあるが、陳寿はある意図をもって故意に重出させたと考えている。

 

一つは徐氏が言われる「以錯文見義」という書き方であるとすること。

徐氏いわく。「「以錯文見義」とは、その文が異なれるもの、つまり従来の書式に合わないもの、あるいは前後矛盾している文を言い、それには特別の意味が秘められていることを示していることをいう。

魏の曹操や晋王司馬懿の事績に関する原始史料はタブーとされ、陳寿は修改を加えず、そのまま載せている(踏襲)が、その一方で陳寿は修正記事を付記している。たとえば国名の重出については奴国以外にも、韓伝で馬韓は55国の国名を列挙しているがその中で莫廬国が重出し、実数は54国である。弁辰韓では25国のうち、馬延国が重出している。

 

倭人伝に「今使訳通ずる所30国」とあるが、女王国は実数28国しかない。しかしこれに狗奴国と女王国の東、海を渡ったところにある倭種の国を入れると、実はちょうど30国となる」。

つまり陳寿は「万二千余里」という誇大距離などはそのまま記録通り踏襲したが、実数は違うんですよということを暗に示しているということである。

 

それも確かにあるとおもうが、奴国の重出について私の考えは、

奴国の重出は、陳寿の倭人伝(3世紀)より後代に撰じられた後漢書(5世紀)にあるように、光武帝の時「(西暦)57年倭の奴国、奉貢朝賀す 使人みずから大夫と称す 倭国の極南界なり 光武帝は印綬を賜った」と同じ記録を陳寿がみて、それを踏襲して(無視できず)「奴国は倭国の極南界である」という文を重出を承知で挿入したのではないか?

というものである。

ちなみに音韻学の研究家でもある徐氏によると、「奴」の古音は「nuo」であり、日本語の「の」に近いという。奴国は「の国」と呼ぶのが正しいのかも。

 

では、奴国が重出なら女王国の境界はどこか?

重出の奴国の前の烏奴国となる。こちらも奴国という文字が入っている。すると「その南」の「その」は烏奴国となる。したがって女王国の境界の烏奴国の南に女王国とは不和の狗奴国があることになる。

狗奴国と女王国が不和ということは、狗奴国がおそらく邪馬台国以南の21国のいずれかに侵略を行っていたことを示唆する。

 

これで女王国と周辺国の位置関係、および女王国内の国の位置関係の推測を終える。

ここまで