しばらくおやすみにしていたが、その間に新たに気づいた点や発見?などをダラダラ書いてみることにしました。

今回は定番の卑弥呼。

卑弥呼についてはこれまでにいろいろ投稿してきましたが、その後に気づいた点や書物であらためて発見したことなどを書いてみたいと思います。

 

1.卑弥呼が倭国の女王となれた理由

 

今まで漠然と卑弥呼が巫女であったことが大きな理由かと思っていたが、それも一つではあるが、もっと重要な理由があったことに気づいた。

既に誰かが指摘していると思うが、それは卑弥呼が公孫氏の出(同族)であったということである。

公孫氏についてはウィキペディアを参照してほしいが、簡単に言えば

公孫氏は卑弥呼の女王国が属していた帯方郡の支配者(魏の役人)であった。

つまり、倭の諸国は卑弥呼が自分たちの支配者の同族だったから、女王として仕えることに異議なく同意したという単純な理由だったのではないだろうか。

これについてはこれだけの話。

 

ただこれまで述べてきたように、帯方郡は定説のように現在の北朝鮮にあったわけではなく、山形明郷氏が明らかにしたように、現在の中国の遼東半島にあったということが重要となる。

ということは公孫氏は中国の遼東方面にあって、当時その支配領域が海を越えて日本列島にまで及んでいたなどということはありえないということである。

すなわち、卑弥呼が公孫氏の支配下にあったとすれば、女王国は中国の遼東半島から朝鮮半島にかけての間にあったと考えられるのである。

 

山形明郷著「卑弥呼の正体」から関係箇所を引用

( )内の注は私が付けたもの

・魏志倭人伝に

<倭人は帯方の東南、大海の中にあり>とあるが、この郡の東南で大海の中と言えば、それは現在の<黄海>以外には存在しないはずである。したがって倭人伝が指す<倭>とは、多くの言辞を弄すまでもなく、この<黄海>を前面に控え、南北に進展している朝鮮半島そのものを総称したことが、この文献中から読み取れることになる。

 

「楽浪郡について:

・大清(清朝)一統志巻38盛京統部表に、<奉天府、東南遼東・玄菟・楽浪三郡及び朝鮮の地なり>とある。ここで言う奉天府とは清朝中期の国都盛京であり、また奉天府の府治である。すなわち現在の遼寧省瀋陽市である。

上の一文を解釈すると「瀋陽市の東南一帯地区は、古の遼東・楽浪・玄菟三郡と朝鮮(※注:現在の朝鮮ではなく古代の)が存在した地である」という意味になる。

 

・後漢書巻一光武帝紀の注釈文に、

楽浪は郡、もとの朝鮮国なり、遼東にあり

とある。

 

・また山海経巻十二海内北経中に、

<帯方は列口県にあり>と記載されている。列口県は、現在の遼河・渾河・太子河三大河川の河口北岸の「営口市」あるいは「営口県」であり、この行政区分は遼東湾を含む遼南地区北西一帯を含む。この遼南地区内に最初から帯方県は存在していたことになる。

 

ここまで