愛染かつら(旅の夜風) | 時事評論

時事評論

時事的な問題、主に政治的問題、経済的問題について、感想を述べる。視点は自由主義、保守主義、愛国心・・・である。

(1)

 

「旅の夜風」(映画、愛染かつら、の主題歌)をたまたま聞いた。

 

https://www.youtube.com/watch?v=QZH4Ecp5x7w&feature=share&fbclid=IwAR3cQHCQKnNbrEzNxMRjB91FdvNqjfT5LCVsFX5ZPEgQt_7D6X1JA1PC2Ck

 

どこで、いつ聞いたのか、しかとした記憶にはないが、よく知っていた歌だった。しかし、これが愛染かつらの主題歌だったことは知らなかった。

子供の頃、田舎で、大人たちが歌っていたのか、母が歌っていたのか、ラジオから流れてきたのか、多分その全部だろう。

 

笑い話だが、愛染かつら、と、愛新覚羅溥儀(清国ラストエンペラー、満州国皇帝)とがごっちゃになって、何のことだ?と長い間私は混乱していた時代もあった。

 

ちなみに、私はまだ原作小説読んでないが、歌が縁となってユーチューブ動画の映画を観た。
画面が粗く音声も聞き取りにくいが、大体は分かった。

純愛映画だった。

なかなか面白かった。

公開当時(昭和13年、1938年)、シナ事変が始まっていたが、庶民はこういう映画に熱狂したらしい。

分かる気がする。

 

歌詞が、今の人達には分かりにくいかな。

私にも分からない箇所がある。

 

(2)

 

まず、出だしの言葉、花も嵐も踏み越えて、について。

 

これは誰か、どこかで説明しているのかどうか、知らないが、私はこう感じた。

 

親鸞が幼少の頃、青蓮院に入った。その入門の時の歌が伝えられている。

 

明日ありと思う心のあだ桜 夜半に嵐の吹かぬものかは

 

意味は、得度の式を明日にしようとおっしゃいますが、明日私たちが生きている保障はありません、今夜、今から得度のことをお願いいたします、ということだ。

 

当時、親鸞はまだ9歳だった。よくもまあこんな歌を作れたものだ。さすが、だ。

 

それはともかく、桜の花、嵐、が歌われている。咲き誇る桜の花を無惨に散らす夜半の嵐、人生はそういう予想も出来ない試練に満ちている。

親鸞の歌はそういう意味だろう。

 

愛染かつら、出だしの言葉はこれを踏まえているのではないかな?

人生は思いもよらない試練に満ちている。だがしかし、我々はそれを乗り越えて、踏み越えて生き抜かなければならない、男(も女も、だと思うが)はそういう強い意思で生き抜かなければならない、そんな意味ではないかな?

 

あの頃の人は親鸞のエピソードを常識のように知っていたのだろう。親鸞の得度の和歌のことも知っていたのだろう。

だから、いきなり、花も嵐も踏み越えて~と来ても、ふんふん、なるほど、そうか、言いたいことは分かる、ということだったのではないか?

今の人々にはまるで通じないかも知れない。

何?花も嵐も踏み越えて、何のことじゃ?〰️かも知れないな。

私はたまたま親鸞聖人の伝記を読んでいたので、得度の和歌を知っていたので、連想が働いただけだ。全く、たまたま、だ。

 

ただ、口うるさいことを言うようで恐縮だが、本当はこう書くべきだったかも。

 

「花に嵐」も踏み越えて・・・

 

花も嵐も、ではやや意味が通じない。と言うか、言い間違いだろう。

しかし、あの頃の人は大目に見て、意味を汲み取ったのだろうと思う。

どうかな?

 

ここで一首。

 

「花に嵐」のたとえもあるぞ 今日一日の限りとぞ思え

 

(3)

 

さて、次は「ホロホロ鳥」だ。

これが一番分かりにくい。何?これ?・・

 

いろいろ見てみると、東川寺のホームページにこういうことが書かれていた。

 

<この「愛染かつら」の主題歌「旅の夜風」の誕生秘話を西條八十は「あの夢この唄-唄の自叙傳より-」の中で書いている。

 二三、「愛染かつら」

昭和十三年わたしが輕井澤に滞在してゐると、夕ぐれコ(コロムビア)社のディレクター山内義富君が、突然東京から訪ねて來た。手に一冊の謄寫版刷のシナリオを持ってゐた。松竹で今度映畫化される川口松太郎氏原昨「愛染かつら」だつた。

そもそも山口君は、川口氏の言葉として、この「愛染かつら」が書かれた動機が、わたしの「母の愛」といふ謡からヒントを得たものであつて、どうしてもこれの主題歌は西條氏に頼んでもらひたいとあつたと傳へ、松竹でも會社でも吹込みを非常に急いでゐるので、唄はぜひ明朝までにレコード兩面書いてもらひたいとのことだつた。わたしが記憶を辿ると、川口氏のヒントとなつたといふわたしの唄は次のごときものであつた。

 晴れて逢へない母子(おやこ)ゆゑ

 眞(しん)の夜中に逢ひにくる、

 眞の夜中に出る月の

 やうに寂く逢ひにくる。

 晴れて呼ばれぬ我子(わがこ)ゆゑ

 眞の夜(よ)ふけにこの涙、

 おなじ想ひか、さらさらと

 往(い)つてまた來(く)る小夜時雨(さよしぐれ)。

その晩、わたしは山口君を萬平ホテルへ送つたが、無聊を慰めるべく晩餐を沓掛にちかい御狩場焼きと呼ぶ成吉思汗(ジンギスカン)料理へ招待した。ところが興に乗じて飲み過ぎたものだから、その晩はたうたう何も出來ず、酔ひつぶれて寝てしまつた。

翌日、早朝に起きて、わたしはまづ壹本を一讀した。山内君は朝八時の汽車で歸るといふのだから、否が應でも、二時間ばかりの間に、二つの唄をまとめねばならなかつた。それに脚本が非常に感傷的であるのに、時代は日華事變の進展に伴ひ、個人的感傷を盛れる作品は許可せずといふ内務省の検閲方針であるから、これも程よく回避せねばならぬ。

わたしは、朝霧にふかく包まれた二階の書斎で、いろいろに思案をめぐらした。と、ふと想いついた事は佐藤惣之助の行きかたであつた。

その頃詩人佐藤惣之助は、わたしに次いで、大衆歌に筆を染めてゐた。當時のかれは、まだどこの會社へも専屬せずに、頼まれるまま、コロムビア、ボリドール、帝蓄到るところの作詞をしてゐた。いつも着流しで下駄をぶらさげて、コロムビア文藝部へはいつて來た。達筆でこだはりのない彼の唄は、特に古賀政男とのコンビでは大いに當りを見せてゐた。(中略)

いま、「愛染かつら」の歌詞を考へたとき、わたしは、ひとつ惣之助の手口で行つてみようと想ひついた。さうして、直ぐ筆を運んでいつた。

 旅の夜風

 花も嵐も踏み越えて

  行くが男の生きる途(みち)、

  泣いてくれるな、ほろほろ鳥よ

  月の比叡(ひえい)を獨り行く。

 優しかの君、ただ獨り、

  發たせまつりし旅の空、

  可愛い子供は女の生命(いのち)

  何故に淋しい子守唄。

 加茂の河原に秋長(た)けて

  肌に夜風が沁みわたる、

  男柳がなに泣くものか、

  風に揺れるは影ばかり。

 愛の山河(やまかわ)雲(くも)幾重(いくへ)

  心ごころを隔つとも、

  待てば來る來る愛染(あいぜん)かつら

  やがて芽をふく春が來る

讀んでみればわかる。

この唄の第一聯全體はまづ愛人と別れて京都へ行つた若い醫者の情懐を叙してまとまつてゐるとしても、「ほろほろ鳥」といふ言葉だ。これがナンセンスだ。こんな鳥は京都にはもちろんゐない。この唄がひろく唱はれ出したとき、わたしはある未知のファンから送られた封書をひらいて驚いた。その中には、「先生が『愛染かつら』で詠はれたほろほろ鳥といふのは、いつたいどんな鳥かと想つていろいろ訊ねたのですが、やつと動物園で發見しました。ここにわたしが撮影したその寫眞を同封いたします。記念に御保存下さい」といふ意味の手紙がはいつてゐて、その「ほろほろ鳥」の寫眞が出て來た。見ると、それはとても大きな七面鳥に似た異形な鳥で、「南米産ほろほろ鳥」と傍書してあつた。

ところで、わたしが「ほろほろ鳥」と書いたのは、ここへうらがなしい鳴音(なくね)の鳥を點出したかつたからで、わたしはいろいろ考へたあげく、比叡山にほど遠からぬ高野山を聯想し、次いでそこに因みのある石童丸と刈萱道心の邂逅を想つた、琵琶湖の「石童丸」の中にある「ほろほろと鳴く山鳥の聲聞けば、父かとぞおもふ、母かとぞおもふ」といふ古歌が胸に浮んだので、それを「ほろほろ鳥」といふ名に具體化したのであつた。

参考:この「ほろほろと鳴く山鳥の聲」は「行基」の歌で「玉葉和歌集」には「山鳥のほろほろと鳴く声きけばちちかとぞ思ふははかとぞ思ふ」とある。

(中略)

(第三聯)この歌詞は吹込みの際、霧島昇が間違つて唱つたものだから、いよいよ珍妙なものになつてしまつた。

それは、わたしの原作では、ここの三行目は、――

「肌に夜風が沁みるとも」とあつたのを、霧島がうつかり、

「肌に夜風が沁みわたる」と、はつきり區切つて唱つてしまつたのであつた。

あとで、氣がついたディレクターから、「吹込み直させませうか?」と言つて來たが、テスト盤を聴いてみると、霧島の「沁みわたる」と唱つたはうが、言葉にハリがあつて聴きいいので、わたしはそのままにしておいた。

そにかく、こんな具合で、片面の唄は出來上つた。次にわたしは大急ぎで、殘る片面の、ミス・コロムビア唱ふ「悲しき子守唄」を書き上げた。

さつそく淨書して机上にのせた途端、「つい寝坊しちまひまして」といいながら、山内君が大あわてで飛込んできた。時刻は輕井澤發車までにキチキチであつた。

こんな風にして、早急に出來た唄だつたが、いざ吹込んでこれが巨匠野村皓將監督、上原謙、田中絹代主演映畫に挿入されると、たいへんな人氣で賣れた、賣れた、プレッスが間に合はないほど賣れた。會社の話では、レコード總賣上數約百萬に達したとのことであつた。(中略)

ところで、この「愛染かつら」に附随して起つた想ひ出深い事件は、コロムビアの歌手霧島昇と、ミス・コロムビアこと松原操との結婚事件であつた。

(「西條八十「あの夢この歌-唄の自叙傳より-」271~279頁より)>

 

かなり長い引用だったが、経緯はよく分かった。

 

で、まったく、人騒がせな話だなあ、と思ったことだ。

「ホロホロ鳥」って何だろう?と誰でも不思議に思うはずだ。

真相を聞いてみれば何のことはない、ただの連想。

聞いて、ガクッと来た。

 

そもそも二日酔いの頭でさらさらと書いた歌詞が、その後大ヒットした。分からんものだ。

しかし、そんなものかもしれない。その時はさらさらと書いたものだが、西条さんにはそれまでの修練がある。練達の作詞家だ。彼が15分で作る歌詞が、他の者なら一生かかっても作れない。もって生まれた才能と長い厳しい修練のなせる業というものだろう。

ホロホロ鳥については分かったが、「発たせまつりし 旅の空」は何だろう?

 

(4)

 

出発おさせ申し上げた、というくらいの意味だろう。

女性主人公の高石かつ枝が男性主人公の求愛に応えられず、会えないまま旅立たせてしまった情景を歌っているのだと思われる。

 

情景は分かるのだが、その表現、「発たせまつりし」が何とも古風というか、戦後生まれの私にはピンとこない。

これでも私は高校で古文も漢文も一生懸命勉強したのだ。でも、ピンと来ない。何じゃ、これは?だ。

戦前の日本人はすらすらとこれが分かったのだろうか?戦前と戦後の教養の断絶かな?

 

思案すれば分かる。まつるは謙譲語で、申し上げる、だ。発たせ、は使役だ。出発させた、だ。で、合成すると、出発おさせ申し上げた、くらいの意味だろう。

 

なるほど、映画の駅での見送り(出来なかった)場面に合っている。

 

私が驚くのは、こういう表現形式だ。今は絶対にこういう言葉は使わない。使われない。と言うべきか。

日本語の衰退?劣化?幼稚化?

何なんだろう?

 

(5)

 

男柳というのも造語だろう。柳に男も女もあるはずはない。

 

柳が風に揺れて月の光で影が出来てそれも揺れている、という風情だが、日本人は柳が好きなわけだ。「勘太郎月夜」という歌でも「影か柳か」という出だしだった。

 

柳に風情を感じるという日本人の情緒がどこから、何に由来するのか、私はまだつまびらかにしない。小野道風の柳とカエルの話が有名であるようで、柳は何となく風情のある樹だったのかもしれない。

 

賀茂川には柳でしょう、柳とくれば揺れる影でしょう、影は揺れているが、私の心も揺れているが、だけどおいらは男だ、泣くものか・・みたいな連想ではないかな。

 

で、こういう連想があの頃の日本人の完成に合致した、ということか。多分、今では、全然合致しない。日本は変わった。

 

(6)

 

愛の山河 雲幾重、というのは多分スサノオ伝説ではないか。

 

スサノオが詠んだ歌がある。

 

八雲立つ

出雲八重垣

妻ごみに

八重垣つくる

その八重垣を

 

このイメージではないか?

 

いろいろな試練はあったが、スサノオはクシナダヒメとの愛を成就した。

同じように、愛染かつらの主人公二人も試練を乗り越えて愛を成就する。真夏の青空に真っ白な雲が幾重にも湧き上がる、そんな出雲に愛する二人の住まいが幾重にも守られて出来たそのように我々の愛も守られていくのだ、そんな意味ではないか。

 

こういう理解がすっと入って来るのは古事記や日本書紀の神話を常識として教わっていたあの頃の人々だからだろう。今の人々には分からないだろう。古事記など読んだこともなく、教わったこともなく、スサノオ・クシナダヒメ物語などこれっぽっちも知らない。

 

(7)

 

愛染かつらの作詞家、西条さんは二日酔いの頭でさらさらと書いた歌詞が分厚い日本の歴史と伝統を踏まえた言葉の世界であり、聞いた日本人もその意味・感性をすっと受け止めた。

そういう時代があったのだなあとあらためて感じた。

 

とは言え、言葉は断絶している面があるかもしれないが、心映えは決して断絶していない。

 

愛染かつらのテーマは、人を愛し、愛する者のためにいろいろな誘惑、打算を拒絶し、身を慎む、ということだ。それが人の道だという思いだ。

 

あの頃の人々はその思いを愛でた。それを美しく、さわやかに描いた映画に共感した。だから、大ヒットした。

映画を観た人々は忘れず、折に触れて主題歌を口ずさみ、人生を重ねた。

 

その思いは時代を超えて、どんな状況下でも生き続けるに違いない。

愛染かつらの普遍性は消滅しない、と思ったことだ。