三島由紀夫『癩王のテラス』中央公論社、1969年 | 時事評論

時事評論

時事的な問題、主に政治的問題、経済的問題について、感想を述べる。視点は自由主義、保守主義、愛国心・・・である。

(1)

 

これは三島由紀夫最後の戯曲である。擱筆は1969年4月6日。彼は翌年の11月25日、陸上自衛隊市ケ谷駐屯地にて自決した。

 

「あとがき」にこうある。

「1965年十月、カンボジアのアンコール・トムを訪れ、熱帯の日の下に黙然と座してゐる若き癩王の美しい彫像を見たときから、私の心の中で、この戯曲の構想はたちまち成った。」

 

アンコール・トム遺跡に癩王のテラスというものがあり、そこにこの名前の由来となった彫像がある。高さ1メートルほどの座像であり、右足を立てて黙想しているかのようである。それはヒンドゥー教の死の神であるヤマを表しているのだが、その体はしなやかに均整がとれ若々しい美しさを持ち、その顔はかすかにほほ笑んで瞑目している。しかし、変色などでハンセン病(癩病)にかかった人を連想させるということから「ライ王」と俗称されるようになったという。人々に信じられた伝説もあるという。

 

三島はここに来て、この像を見て、伝説も聞き、歴史を調べ、一つの着想を得たのだろう。それを印象深い戯曲にまとめた。

 

(2)

 

時は12世紀末、カンボジア・アンコールの王宮に若き王ジャヤ・ヴァルマン七世が君臨していた時代のことである。王は神々しいまでに美しく、戦場に出れば軍神の化身のように戦い勝利を得た。彼は信仰深く観音菩薩のようでありたいと願い、民衆を慈しんだ。民衆もまたそのような王を心から敬愛した。

 

王には慈母と二人の妃がいた。王を慕い愛することこの上ないものだった。しかし、王宮には権力を巡る野望が渦巻くことも常であり、その中心が宰相であった。宰相は面従腹背、ひそかに佞策をめぐらし、いつか王を亡き者にし自分が君臨しようと狙っている。一見華やかな王宮にも渦巻く悪魔のささやきがある。

 

そのささやきは二人の王妃の間にもあった。第一王妃は王の愛を独占したく第二王妃への嫉妬の炎を燃やしている。第二王妃は心清らかでひたすら王への愛を尽くそうとしている。

 

凱旋の夜である。勝利と帰還の喜びがはじける宴の中で王は一つの決断をした。新しい寺院を造るという。それは巨大で粋を凝らした寺院となるべきで、同時に観音菩薩の慈悲の世界ともなるべきものであった。若き石工を総棟梁に抜擢した。その全ての決断を下してくつろぐ王の左腕に赤い斑紋が現れていた。

 

時は流れ1年が経ちバイヨンの寺院建築は大いに進捗していたが完成までにはあと2年はかかるという頃。王は癩の病におかされていた。あの赤い斑紋はその兆しだったのだ。王の美しい肉体は崩れかろうじて美しい顔だけが元のままに残っているだけという有様だった。王は人前では全身を布で覆っている。

 

王の病は人々の心に様々の波紋を引き起こしていた。王母の悲しみ・苦悩、第一王妃の離反、第二王妃の変わらぬ誠、宰相の奸佞、民衆の動揺。王の暗殺計画が動き出す有様であった。

 

ある夜、ついにその計画が発動されんとした。その混乱の中で第一王妃が炎に飛び込んで灰となった。宰相は王母に突き刺されて死んだ。

 

更に1年の時が経った。王母は苦悩の中で宋の国に旅立とうとしている。王母は後のことを第二王妃に託した。第二王妃の愛だけが真実であったから。第二王妃の愛は王の肉体がいかように醜く崩れようとも揺らぐことはなかったのだ。なぜなら、王妃は王の体ではなくその心をこそ慕っていたからだ。三島はそのような愛があることを、ありうるはずだということを言いたかったのかもしれない。

 

更に1年が過ぎ、ついに寺院の完成の時が来た。しかし、もう王の目は閉ざされてしまっていた。待ち望んだ巨大で壮麗な観音菩薩の住み給う寺院を見ることは出来ない。そばに王妃が付いていた。王妃の語る言葉で寺院を思い描くしかなかった。王の死は目前だった。王は王妃にこの場を立ち去るように告げた。その妥協を許さぬ厳しい言葉に王妃も立ち去らざるを得なかった。

 

王妃が立ち去って一人になった王。その時、舞台には不思議な光景が出現した。王の肉体がバイヨン寺院の頂に出現したのだ。たった今まで輿に乗っていたはずの肉体が遊離し、輿には王の精神が残っているという。肉体と精神の間で問答が始まる。

 

王の肉体は輿の中に残っている精神に言う。お前は俺が見えぬのか?目を用いなくても見ることができるのが精神の誇りではなかったのではないか?輿の中のお前、俺の精神は滅ぶのだ。肉体である俺は滅ばない。肉体は病みもせず傷つかず崩れることもない。肉体は永遠、不朽、若さに輝き溢れる。病などというものは精神が描き出した幻に過ぎないのだ。滅び死ぬのは精神の方だ。肉体は不滅、不死なのだ。

 

(3)

 

三島は二元論であったようだ。精神と肉体。普通、二元論は精神が主、肉体は従、肉体は滅ぶが精神は滅ばないとする。三島は逆だ。そこが興味深い。

 

私はごく平凡に肉体は精神の乗り物であり、精神が神から預かったものであると考えているが、そしてそれが宇宙の真理であると考えているが、三島は逆だと考えるのである。それが科学的真理かどうかを議論するのは、この場合、意味がない。三島はそう考えたかったということ、その思いを素直に受け止めることだろう。

 

三島は肉体にこだわった。彼は精神において類まれな才能を持ち、私は彼を天才だったと考えるが、それにもかかわらず、彼は精神よりも肉体を永遠不滅と考えたかった。それには何かわけがあったのだろう。彼は肉体強化訓練みたいなこともやったらしいが、そこにこだわるわけがあったのだろう。人にはそれぞれわけがあって、独自のこだわりがあることが多いから三島が肉体にこだわったとしても他がとやかくいう筋合いではない。肉体を永遠不滅、肉体こそ主であるというのは彼の思想であり、彼はそう考えたかったことを受けいれればいい。

 

彼は肉体をこそ永遠不滅と考えたかもしれないが、同時に、肉体ではなく心をこそ愛するという愛のありかたがあることも語っている。観音菩薩に対する信仰も語っている。彼は精神の輝きに大いなる価値を見出していた人だと私は理解する。彼のこの戯曲は全編美しい。卑しいところがない。高潔である。

 

(4)

 

ところで、私は精神が主、肉体は従と考えるが、そしてそれはごく平凡な思想だと思っているが、それにしては不思議だと思うところがある。つまり、従である肉体、脱ぎ捨てられる肉体、一時期を過ぎれば腐敗し朽ち果て原子に戻る肉体がなぜこんなにも複雑精妙、無限とも言えそうな精妙さを持っているのかということである。肉体は決して機械ではない。機械も相当に精妙さを持っているものも現れてきたかに見えるが、とてもとても肉体の比ではない。肉体の精妙さは無限の奥深さを持っている。おそらく極めつくすことは出来ないだろう。なぜそうなんだろうと私は不思議だ。

 

私は人間の肉体のことを問題にしているが、いやいや、実は生命一般が無限の複雑精妙さを持っていると言ってよいだろう。単細胞生物、ゾウリムシだってそうだろうと思う。しかし、話はそこまで拡大しないでおく。

 

ともかく、肉体は精神の一時の乗り物にしては出来過ぎているのではないか?ちょっともったいなさすぎはしないか?そう考えると三島由紀夫のこだわりも分かるような気がしてくる。肉体が永遠のものでないとすればなぜこんなに複雑精妙で、そして、美しいのか?そこまでする必要がどこにあるのか?

 

勿論これは神の御業である。神はそういうことがお出来になる、すごい!万能である!ということになるわけだが、それで済ませられるものだろうか?私は済ませられないと思うのである。何か意味がある。神様には何かそうするわけがある、と。

 

私が今考えうる答えは、愛、である。愛があるからそういう生命が創られたのだと。そこまでする必要があるからというようなことではなく、必要か不必要かということではなく、愛があるからそうなってしまうということである。愛が存在を生み、存在は無限展開する。その一局面が宇宙であり、星々であり、生命であるということだろう。

 

(5)

 

『癩王のテラス』は癩病・ハンセン病を物語展開の鍵としている。肉体が崩れるという事象をめぐって登場人物の心理が交錯し、愛憎劇が展開するという作り方だ。肉体が崩れゆくというのは恐怖だろう。だから差別が生まれ、救済の愛も生まれる。我々もごく最近そういう愛を知った。アフガンで銃弾に倒れた中村哲氏だ。三島由紀夫さんはハンセン病そのものに関心があったわけではなく、諸行無常を受け入れない、受け入れることができない心性(三島さんはそれを「絶対病」と呼んだ)の悲劇を描きたかったようだが、まあ、それはそれとして、もし今三島さんが生きていて、中村さんの絶対愛の姿を見たなら、どんな風に思うだろうかと気になる。三島さんの天才的感性と文筆の才をもってすれば世界を動かす小説が出来るのではないかと空想したところだ。

 

(2020.5.29)