昨日、数日ぶりにカメラを回した。弟が外出した。たぶん通院だろう。50回目の誕生日、節目に自分撮りをする予定だった。これまでに外出時の模様を撮影している。日常の行動を撮った。自分の歩く道筋を撮影し、その都度、つぶやいた。道筋そのものより、語りがポイント。テーマは「俺自身」8割は主観映像。老人ホームの母との会話は俺の日常から浮かび上がる感情を表現できた。まだ足りない。
布団を干し、周りを片づけた。台に段ボールを積み、目線までの位置にカメラを配置。向かい合った。誰もいない畳部屋。陽射しが照りつける正午前。語り始めた。何を語っただろう。日常生活に感じる不平不満、主観作品への見解、それに伴う孤立感。まるでカウンセリングで鬱積を吐き出している感覚。レンズが鏡の役割を果たし、俺の顔と苦々しい表情を映し出した。喜怒哀楽の感情を絞り出したかった。以前、心理学のワークショップで散々やってきたことをひとりで行った。孤立無援の現実に怒り、悲しんだ。放りっぱなしのプロデューサーへの怒りと機会を与えてくれた感謝の気持ちがごっちゃ混ぜになった。自分に向き合った。
2時間ほどで終わらせた。再生。自分の顔と声に違和感を覚えたがリアルな感情表現は撮れた。きれいごとのなさが俺らしかった。撮影した結果よりもできたことに満足した。自己実現のプロセスを味わった。あとは未来に希望の持てる映像を撮りたい。憧れの人に会い、語り合う。夢は諦めなければ実現可能だというメッセージを込め、完了しようと思う。3月11日。東日本大震災の1年後だ。
ボビー・ミルク