母は老人ホームの部屋で読経をする。彼女にとって宗教は命そのものだ。経巻の1つ、弥勒経の経本がボロボロになった。支部に会費と新たな経巻の代金を送った。後日、会報が届いた。肝心の弥勒経本がな かった。母に経巻が届かなかったと報告するために今朝、面会に行った。特に行く必要はない。だが母の顔だけでも見ておこうと思った。
母は元気だった。経巻について訊くと支部長が面会に来て、弥勒経巻を渡してくれたとのこと。ホッとした。こんなこともあるものだと感慨深げに思った。人からすれば些細な事柄でも本人には大切なことがある。母には読経、俺は母に経巻を届けること。義務を越える想いがそこにあった。
選択だ。そのとき、その瞬間に何を選ぶか。ほんの小さな選択が大きなパワーにつながる。快晴の今日。家を出たとき、俺は自分のなかにある選ぶ力を感じた。母に会い、経巻が無事手元に届いた事実がそれを物語っている。偶然ではない。すべては必然。自分がいま在る現実を創り上げている。
空虚。孤独。この2つの現実と向き合う毎日を送り続けている。望まない現実だろうか。違う。心の奥深くでその現実を望んでいる。空虚な日々の過程から何かを学習する。孤独は普遍だ。誰もが感じる。それも選択だ。
支部長が俺を弥勒山の修行に行かせたいと言ったそうだ。母の想いは大切だが俺自身は宗教などごめんだ。昔、散々行った。だがそれも体験になる。宗教を違う視点から捉える機会だ。面白い。