人生はチャンスを待つ時間だ。機会が向こうからやってくるまで忍耐強く待ち続ける。映画『セブン』の老刑事は苛立つ若い刑事に言う。「待つことも仕事だ」病院、バス停、電車の駅、映画館、友人との待ち合わせ、ライヴ開始時間、誰かが生まれ、誰かが死ぬまで人生では待ち続ける。


学校での授業の終わりを待った。父親の死を待った。弟の癌摘出手術終了には10時間待った。始まりを待てば終わりも待つ。うんざりし、心身ともに疲弊するまで我慢し続ける。いずれは終わる。そこに望みを託し、忍耐を自分に強いる。嫌なこと、不快な思い、不安や怖れを伴うものほど長く感じる。父親が酔って暴れる毎日。永遠に続くかと真に絶望したものだ。約30年家庭内に地獄を見続けた。家族は皆、疲れきった。その末の父親の死だった。



待つことは嫌いではない。必然だと思っている。その過程で様々な感情と気分の変動が起こる。何も感じない場合もある。それは“何も感じない”を経験している。以前、人が俺に言った。「あなたは誰かが近づくのをただ待ってる。自分から積極的に人に近づかなきゃ友達なんてできない」当たらずも遠からず。対人緊張の強い俺は誰かに接近することが極端に怖い。相手が自分を拒絶すると信じている。と同時に物事に結論を出したくない性質がいまもある。解決した途端、物事の流れが無理矢理に止まる。成長も学びも止まる。なぜ俺は人が怖いのか。なぜ拒絶を全人格の否定と捉えるのか。じっくり洞察したい。待つ必要がある。解決も解答も生産性を重視する社会が生み出した概念だ。鈍い俺は社会に対し、非生産的な生き方をしている。



このブログのテーマだ。社会的概念を破壊し、オリジナルな生き方を探求する。待つことは決して無駄ではない。