何をしたいのだろう。何を望んでいる?
未来に描くヴィジョンに何があるのか。
何のために生きる?
繰り返し繰り返し、自分に問いかける。そのたびに空想に浸る。頭のなかで望む現実をシュミレーションする。実現に必要なものは1歩踏み出す勇気とカネ。3つ目に人脈だ。空虚で孤独な毎日に心底疲弊したときに疑問への答えを選択する。生き延びるなら必死に生きる。死にたいならすぐにでも首を吊る。俺は前者を選択する。なぜなら生きることは同時に死に向かうことでもある。否が応にもすべての生き物はいつか必ず死ぬ。死に急ぐ必要はない。
48年の人生もあと1か月と数日で終わる。そして49歳の人生が始まる。ここまでくると50はすぐそこだ。未だに独身。結婚願望はとっくに捨てたはずだがまだ可能性を信じている。今日は通院日だった。待ち時間に考えたことは自分の未来だ。最優先の望みは良き伴侶と暮らすこと。恋人。親友。同志。パートナー。独りぼっちの未来像は哀しすぎる。
いまも健康を第一に規則正しい生活を送っている。もし、未来に望むものがないならもっと自堕落な毎日を送る。昼夜逆転に戻る。ドカ食いする。薬を大量に服用する。性犯罪に走る。そのほうが真面目に生きるより楽だ。むろん死ぬより辛い生き地獄に堕ちることは覚悟の上だ。
まだ捨てていない。
この年齢まで生きた。未来を見据えている。あやふやでも望みを抱いている。すでに生き地獄は遥か昔に体験した。もうコリゴリだ。
今朝早く出かけると外は薄暗かった。雲が空を覆っていた。人数の少ない道を歩いてバスターミナルに向かった。冷たい風を頬に受けた。地に足をつけた自分。その感覚こそ望むものだ。