先日の東京大会等において、周りの者達から伝え聞いたことを元に私見を述べたいと思います。


 試合である以上、審判がいてルールがあり成り立つ。

だが、その審判の技量が、定まらない場合、必死に闘ってる選手たちから不満の声があがることが、ある。

これは、大会の大小に関わらずである。


 どれほど技量優秀な審判を集めたとしても、判定の誤差は、どうしてもでてしまう。

例えば、5人体制の審判であっても、激しい攻防の際、見えない死角が、出てしまうことや、反則ギリギリの打突が、動きの中で明らかでないなど。

そして、その判定に審判の私見の誤差なども一因となる


無論、審判の技量向上は常に団体として計らねばならない。公明正大、且つ選手たちの安全を最大限に考慮して判定を常に行うことを旨としている。

少なくとも私達の団体の審判団は、そうだと断言しておきます。


しかし、それでも、実際の現場では、様々な事象がでてしまう。

その度に改善策、善後策を講ずるよう努めているのが現状といってよい。



ここで選手たちに苦言を呈したい。


競技でありルールに則って闘う場合、どうしても自分に有利に事を運びたいのが当然の感覚。

 ただ、それが行き過ぎてしまうことが見受けられる。

それが、相手の反則行為に対しての「オーバーアクション」である。


よくサッカーなどで見かける相手の反則行為に対するオーバーアクション…広いコートの中でのことだから、仕方ないのかもだが…私ら古い武道を嗜む者からしたら…とても鼻白らむ行為にしか見えないのだが…。


現行、ルールでは、反則と言われてはいるが…

私見としては「いや、殴られる蹴られる方も油断してたか注意が足らん!」ましてや、殴られて、そんな倒れ方するか⁇実戦を経験した者からすれば…疑問符しかつかないのだが…。


ですから、私共の道場では昔から「たとえ自分が不利になったとしても、判定は判定、それだけのことしか出来なかった自分の技量を戒めよ」と伝えている。

 反則かどうかわからないような不明瞭極まりない技を出した自分を恥じなければならない。


何故なら、自分らは競技に勝つ負ける以前にどれほど幼い選手、道場生であれ「武道家」なのだから。


でなければ、開会式に「武道精神に則り」という文言が、虚しくなってしまう…。


ただ自分の心情としては

殴られたら正当にして倍にして返せば良いだけ^ - ^