「テロス」
何故私はこんな目にあうのだろう?
何故私は皆より不幸なのだろう?
何故私だけが病気になるだろう?
お金が無くなったらどうしよう?
最愛の人と別れてしまったらどうしよう?
様々自問自答は繰り返され自分に負けてしまいそうな事が人生には多いにあります。
そしてテレビや雑誌や本などで新しい情報を得て「私だけではないから安心する」という事たくさんあります。
そしてそうならない方法や手段が見つかるとそれを多いに信じる傾向に今の我々はあるのではないかと考えました。
そんな考えから様々な「善」や「悪」が生まれているようにさえ感じます。
簡単な例えですがお金が無くなったらどうしよう?と考えると「法律」に触れない様にお金を稼ぐという答えが見つかります。そして手っ取り早い方法で「お金を稼ぐ」目的に「自分」という手段を使って行動するということが多くにあるのではと?
本当に自分の事を考えてとる行動なのか私はいつも疑問でした。
しかし最近こんな事を考えてみました。
帰結や結果から物事を考えるのではなく目的から物事を考えてみるという当たり前の考えです。
「私の手はどうしてあるのだろうか?」と考えるよりも
「私の手の目的は愛する人を抱きしめる為にある。」という目的を持たせる事で次に自分が為すべき事が見えてくるのではないかと。
そして「私の手の目的をより最高にする為」に自問自答を繰り返し、日々の勉強や努力が強制で行われるのではなく、
自分の思考で到達した目標により自分らしく生きていけるのではないかと。
その終わることの無い思考で行動する事こそが自分自身の目的を貫く事であり、他者と関わり議論を続ける意味なのではないかと感じています。
懐疑的に物事を終わりにしてしまう時代だという自分の諦めを捨て去り、今日も自分の目的の為に行動していきます。