原理講論和訳研究176
「メシヤの降臨とその再臨の目的」の「第二節 エリヤの再臨と洗礼ヨハネ、(三)洗礼ヨハネの不信」において、

「洗礼ヨハネは、その中心が天の方にあったときには、イエスをメシヤと知って証した。けれども、彼から霊的な摂理が切れて、人間洗礼ヨハネに立ち戻るや、彼の無知は、一層イエスに対する不信を引き起こすようになったのである。自分がエリヤである事実を自覚できなかった洗礼ヨハネは、特に、獄中に入ってから、他のユダヤ人たちと同じ立場で、イエスを見るようになった。従って、イエスのすべての言行は人間洗礼ヨハネの目には、一様に理解できないものとして映るばかりであった。そればかりでなく、彼もやはり、エリヤが来る前に現れたイエスをメシヤとして信ずることができなかったので、結局、自分の弟子たちをイエスの方に送って、「『きたるべきかた』はあなたなのですか。それとも、ほかにだれかを待つべきでしょうか」(マタイ一一・3)と質問して、その疑いを解決してみようとしたのである。しかし、このような洗礼ヨハネの質問を受けたイエスは、マタイ福音書一一章3節から19節に記録されているように、悲憤やるかたない思いで、警告の意味を強く込めた内容で答えられた。」

という訳文があるが、ここに掲載した最後の文章の中に「悲憤やるかたない思いで」という表現が使われている。
原文には「悲憤」にあたる言葉ではなく「憤慨」にあたる言葉が使われている。
また、「警告」には「激しい」という形容詞で修飾されている。
よって、原文に忠実に訳すとすると、
憤慨されて激しい警告の意味を…」のような感じでいいのではないか。