原理講論和訳研究112
「堕落論」の「第四節 人間堕落の結果、(四)善神の業と悪神の業」において、
「善神というのは、神と、神の側にいる善霊人たちと、天使たちを総称する言葉であり、悪神というのは、サタンと、サタンの側にいる悪霊人たちを総称する言葉である。善と悪とがそうであるように、善神の業と悪神の業も、同一のかたちをもって出発し、ただその目的のみを異にするものなのである。
善神の業は、時間がたつにつれてその個体の平和感と正義感を増進せしめ、その肉身の健康をも向上させる。しかし、悪神の業は、時間がたつにつれて不安と恐怖と利己心を増進せしめ、また健康をも害するようになる。それゆえに、このような霊的な業は、原理が分からない人にとっては、それを見分けることが非常に困難であるが、時間が経過するに従って、その結果を見て、その内容を知ることができるのである。しかし、堕落人間は、神もサタンも、共に対応することのできる中間位置にあるので、善神が活動する環境においても、悪神の業を兼ねて行うときがある。また悪神の業も、ある期間を経過すれば、善神の業を兼ねて行うときがときたまあるから、原理を知らない立場においては、これを見分けることは難しい。今日において多くの聖職者たちが、これに対する無知から、善神の働きまでも悪神のそれと見なし、神のみ旨に反する立場に立つようになるということは、実に寒心に堪えないことといわなければならない。霊的な現象が次第に多くなる今日において、善神と悪神との業の違いを十分に理解し、これを分立することができない限り、霊人たちを指導することはできないのである。」
と訳されているところがある。この最後の部分の「霊人たち」は、原文直訳では「霊通人たち」である。
「堕落論」の「第四節 人間堕落の結果、(四)善神の業と悪神の業」において、
「善神というのは、神と、神の側にいる善霊人たちと、天使たちを総称する言葉であり、悪神というのは、サタンと、サタンの側にいる悪霊人たちを総称する言葉である。善と悪とがそうであるように、善神の業と悪神の業も、同一のかたちをもって出発し、ただその目的のみを異にするものなのである。
善神の業は、時間がたつにつれてその個体の平和感と正義感を増進せしめ、その肉身の健康をも向上させる。しかし、悪神の業は、時間がたつにつれて不安と恐怖と利己心を増進せしめ、また健康をも害するようになる。それゆえに、このような霊的な業は、原理が分からない人にとっては、それを見分けることが非常に困難であるが、時間が経過するに従って、その結果を見て、その内容を知ることができるのである。しかし、堕落人間は、神もサタンも、共に対応することのできる中間位置にあるので、善神が活動する環境においても、悪神の業を兼ねて行うときがある。また悪神の業も、ある期間を経過すれば、善神の業を兼ねて行うときがときたまあるから、原理を知らない立場においては、これを見分けることは難しい。今日において多くの聖職者たちが、これに対する無知から、善神の働きまでも悪神のそれと見なし、神のみ旨に反する立場に立つようになるということは、実に寒心に堪えないことといわなければならない。霊的な現象が次第に多くなる今日において、善神と悪神との業の違いを十分に理解し、これを分立することができない限り、霊人たちを指導することはできないのである。」
と訳されているところがある。この最後の部分の「霊人たち」は、原文直訳では「霊通人たち」である。