我々は、「アブラハムの象徴献祭」の重要性を知っている
「原理講論」の「アブラハム家庭」の
「(一)信仰基台 (2)信仰基台を復帰するための条件物」で説明されているのである。

ところが、2000年のキリスト教歴史において、
この「アブラハムの供え物の失敗」に関しては、重要視されてこなかった
解説されてこなかったといってもいいほどである。
解説されても、説得力がない説明文でしかない。

しかし、「講論」は違う。今まであったキリスト教の書物とは違う。
それは「原理講義」を聴いた者、「原理講論」を読んだ者なら誰もが、そのように思うであろう。

アブラハムが供えた供え物は、五つであった。
「雌牛」「雌やぎ」「雄羊」「山ばと」「家ばと」の五つである。
これを「講論」は三つのグループに分ける。
 
    「雌牛」    「雌やぎ」「雄羊」    「山ばと」「家ばと」

三つである。
しかも、順序を以下のようにかえて、この順に「蘇生」「長成」「完成」ととらえる。

    「山ばと」「家ばと」    「雌やぎ」「雄羊」    「雌牛」

ここらへんの詳細な説明は、野村健二先生の著書「幸福の探求~統一原理とは何か~」に詳しい。

どこの誰が一体、このようなことを思いつくことができるであろうか。
「供え物は何を蕩減復帰するものか」
「鳩を裂かなかったことが罪となった理由」
「供え物を裂くことに意味」
「荒い鳥が降りたことの意味」
「エジプトでの400年苦役の理由」…
これらのすべては、2000年間のキリスト神学は解くことができなかったのである。

統一教会のメッセージは、教訓を語って終わるものではない。
今まで、解明することができなかった秘密を、解き明かしているのである。

キリスト教の統一、そして、高等宗教の統一は、この「原理講論」で十分であろう。
私たちは、「原理」の驚くべきところの数々を常に認識しよう。
そして、「原理講論」を誇ろう。