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原理講論和訳研究32

「メシヤ論」の「洗礼ヨハネの不信」のところで、

「それでは、洗礼ヨハネはいかなるつまずきをしたのであろうか。それは、既に上述したように、彼は一生涯従い仕えるべき使命があったのを果たすことができなかったということである。」

というところがある。ここの「彼は一生涯従い」を問題にする。

「彼は一生涯従い仕えるべき使命があったのを果たすことができなかったということである。」
と訳されているところの原文は、

그는 종신토록 예수님을 모시섬겨야 할 사명을 다하지 못했던 것이다.

電子辞書で意味を調べると、
「모시다」:「(目上の人に)仕える、侍る、お世話する、大事にする」
「섬기다」:「仕える(類義語)모시다」

では、「侍る」の意味はと言えば、広辞苑では、「傍にひかえる」とある。

よって、「従い仕える」との訳で問題がないのであろうが、「侍り仕える」と直訳しておいてもいいのではないか。
むしろ「侍り仕える」として方が、洗礼ヨハネの使命をよく現しているのではないか。

洗礼ヨハネはイエスに洗礼を授けた直後から、イエスに「侍る」べきであったのである。
それは、「傍にひかえる」のであり、師と共に寝食を共にする弟子の立場に立たなければならなかったのである。
漁師ペテロはイエスに付いて行くことを許され、洗礼ヨハネはそれが許されていなかったのか。
洗礼ヨハネがイエスに洗礼を授けてから、ヘロデ・アンティパスによって逮捕され、牢獄につながれるまで、1年間ほどあったとみることもできる。その期間に関してははっきり分からないにしても、とにかく、ヨハネはイエスに洗礼を授けてから、牢獄につながれるまでイエスと行動を共にしなかったのは間違いないであろう。
このことを疑問にしてこなかったのは不思議である。

「女の産んだ者の中で、バプテスマのヨハネより大きい人物は起こらなかった。しかし、天国で最も小さい者も、彼よりは大きい。」

という聖句の解釈で、イエスに従う者は、どんなに小さな者であっても、新約の大きな恵みを受けるのであり、そのことの故に、イエスの弟子たちは洗礼ヨハネよりも大きいのだという解釈をする人がいる。
では、洗礼ヨハネはイエスに従っていくことを許されていなかったのか。洗礼ヨハネはどうもがいても、旧約時代に属する者であり、新約の恵みを受けることができない運命に定められていたのか。


話はそれたが、和訳研究に戻すと、
「復活論」の「再臨復活によるキリスト教の統一」のところでは、

「既に、本章第二節(三)(2)で詳述したように、楽園にとどまっている生命体級の霊人たちは、再臨されたイエスを信じ侍ることによって、生霊体級の霊人体を完成することのできる地上の信徒たちに再臨するのである。」

というように、ここではしっかりと「侍る」と訳している。

この部分の原文を掲げておく。

이미 본장 제2절 Ⅱ.2에서 상술(詳述)한 바와 같이, 낙원(樂園)에 머물러 있는 생명체급 영인(生命體級靈人)들은, 재림하신 예수님을 믿고 모심으로써 생령체급 영인체(生靈體級 靈人體)를 완성할 수 있는
지상의 성도들에게 재림한다.


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