安価なすしと高価なすしの川柳
190年前当時読まれた川柳である。
◆けちな鮨 コハダの皮に 飯を張り
その日その日を暮らしている長屋住いの庶民は安価なコハダの鮨を求めていた そんな鮨や生活必需品の需要に応じたのが「ボテ振り」と称されていた行商人である。町々や遊廓にも天秤棒で売り歩いていた。
白魚、車海老、マグロ、コハダ等8文也(160~240円)
「文化のはじめ頃、深川六軒ぼりに、松ケ鮓出来て、世上すしの風一変し・・・・」とある。
◆松ケ鮓 一分べろりと 猫が食い
この店主堺屋松五郎(いさご鮓)は上方人で泉州堺の出身者で登場。すし事情が一変する。つまり、きわめて高価なすしが現れた。
「心つけ給えと言って鮓の中に壱朱銀などを入れおきしなり・・・・」とある。すし飯の中に壱朱銀(1両の1/16 5,000円)を入れる話には驚かせる。松五郎の商策は大当たりで、店はますます繁盛の一途をたどり、そのすしもしだいに高級化し、値段も天井知らず一分は当時酒一斗の価格ほどの値いであったという。
松ケ鮓のすしは一個250文也(5,000~7,500円)。5人前3両(24万円~30万円)当時の高級品好みの金持ち町人に好んで食されるようになった。
老中水野忠邦の天保の改革(1841~43)の奢侈(しゃし)禁止令当時北町奉行で幕臣 遠山景元(通称 金四郎)により召し捕えられた。
