○●○●○●○●○● 2104.2.19.
<応援団 NO.165>
自主勉強と宿題と・・・その2
「応援団NO.2」を読んでもらってもわかるとおり、
私は現役時代、宿題は
「漢字ドリル10問」「計算ドリル10問」
そして「音読」の3点セットにしてました。
若い頃は、「自主勉強」を出したこともありましたが、
個別にやることは違うので
点検にとっても苦労しました。
じょうずにチェックしてみえる先生もみえましたが、
どうも私にはあいませんでした。
同じ3点セットだと、
同じ個所の漢字・計算ですので、
パッと見て違っている字に気づきやすい。
やっている場所が違っているとすぐにわかる。
そして何より
全員ひとりもらさずチェックが速くできる、ということでした。
漢字では、
家でやった時の気持ちが手にとるようにわかります。
しっかり書こうとしているかどうかがよくわかりました。
計算ドリルでもまるつけ・直しが
きちんとしてあるかどうかがすぐにわかります。
そうして
「これって、どうしたんや?」
「直してないやん!」
とその子に個別に声かけができたのでした。
その声かけのために宿題を続けていたといってもいいかもしれません。
30人いると、
どうしても一日のうちに
ひと言も話さず別れることもありますからね。
それをなくすための一つの手段だったともいえます。
そんな理由もあって、
私は「自主勉強」の宿題をやめました。
もちろん宿題以外に
自分で「自主勉強ノート」を作ってやってきた子もいましたが、
それはそれできちんと認めて
「こんな勉強もいいんだよ!」とみんなに紹介しました。
「夏休みの自由研究にいいかもね♪」
とか言って「たね」をまいたりしてました。
そういうことは、2年生くらいが一番のってきますね。
高学年、6年生の子たちからは、
「先生、宿題減らしてよ~」
と泣きつかれたこともありましたが、
学校のある日は必ず、3点セットで出してました。
これを毎日チェックして帰りまでに返す。
そのことが「ひとりひとりを大事にする」ということにつながる
と思ってやってました。
もちろん、
「自主勉強」の宿題を否定しているわけではありませんので、
お間違いないように。
それは、「宿題」に対する担任の先生の
めあてとねらいが違うからであるということです。
・・・前号で紹介した自主勉強、もっと他にないかなぁ~。
(アイデア募集中です!)
ちょっと、ひとこと・・・
最近気づいたことなのですが、
子どものことや家の予定のことなど、
いつも私から話しかけているように思うのです。
これは、私の性格や子どもとの関係もあると思うのですが、
どうも私は「ひとの話を聞いていない」という実態が浮き彫りに…。
会話するとき、子どもが先に話しかけてくることって、
とっても大事じゃないか、と。
どうしても
「どうやったん?」
「○○やったんとちがう?」
なんて言って、
こちらが先に話しかけていることが
とっても多いなぁと思うのです。
これは、子どもが大きくなってもいっしょ!
私もついつい「どうやったんや?」って
先に話しかけている。
それはそれで、話さないよりは良いとは思うのですが、
じゃ、子どもが話しかけてきた時、
きちんと聞いてやっているかどうか。
これは、私だけかもしれませんが、
そこにある子どもの思いをくみとってあげなくちゃなぁ、と
最近反省している私です。
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<応援団 NO.165>
自主勉強と宿題と・・・その2
「応援団NO.2」を読んでもらってもわかるとおり、
私は現役時代、宿題は
「漢字ドリル10問」「計算ドリル10問」
そして「音読」の3点セットにしてました。
若い頃は、「自主勉強」を出したこともありましたが、
個別にやることは違うので
点検にとっても苦労しました。
じょうずにチェックしてみえる先生もみえましたが、
どうも私にはあいませんでした。
同じ3点セットだと、
同じ個所の漢字・計算ですので、
パッと見て違っている字に気づきやすい。
やっている場所が違っているとすぐにわかる。
そして何より
全員ひとりもらさずチェックが速くできる、ということでした。
漢字では、
家でやった時の気持ちが手にとるようにわかります。
しっかり書こうとしているかどうかがよくわかりました。
計算ドリルでもまるつけ・直しが
きちんとしてあるかどうかがすぐにわかります。
そうして
「これって、どうしたんや?」
「直してないやん!」
とその子に個別に声かけができたのでした。
その声かけのために宿題を続けていたといってもいいかもしれません。
30人いると、
どうしても一日のうちに
ひと言も話さず別れることもありますからね。
それをなくすための一つの手段だったともいえます。
そんな理由もあって、
私は「自主勉強」の宿題をやめました。
もちろん宿題以外に
自分で「自主勉強ノート」を作ってやってきた子もいましたが、
それはそれできちんと認めて
「こんな勉強もいいんだよ!」とみんなに紹介しました。
「夏休みの自由研究にいいかもね♪」
とか言って「たね」をまいたりしてました。
そういうことは、2年生くらいが一番のってきますね。
高学年、6年生の子たちからは、
「先生、宿題減らしてよ~」
と泣きつかれたこともありましたが、
学校のある日は必ず、3点セットで出してました。
これを毎日チェックして帰りまでに返す。
そのことが「ひとりひとりを大事にする」ということにつながる
と思ってやってました。
もちろん、
「自主勉強」の宿題を否定しているわけではありませんので、
お間違いないように。
それは、「宿題」に対する担任の先生の
めあてとねらいが違うからであるということです。
・・・前号で紹介した自主勉強、もっと他にないかなぁ~。
(アイデア募集中です!)
ちょっと、ひとこと・・・
最近気づいたことなのですが、
子どものことや家の予定のことなど、
いつも私から話しかけているように思うのです。
これは、私の性格や子どもとの関係もあると思うのですが、
どうも私は「ひとの話を聞いていない」という実態が浮き彫りに…。
会話するとき、子どもが先に話しかけてくることって、
とっても大事じゃないか、と。
どうしても
「どうやったん?」
「○○やったんとちがう?」
なんて言って、
こちらが先に話しかけていることが
とっても多いなぁと思うのです。
これは、子どもが大きくなってもいっしょ!
私もついつい「どうやったんや?」って
先に話しかけている。
それはそれで、話さないよりは良いとは思うのですが、
じゃ、子どもが話しかけてきた時、
きちんと聞いてやっているかどうか。
これは、私だけかもしれませんが、
そこにある子どもの思いをくみとってあげなくちゃなぁ、と
最近反省している私です。
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