「終わったぞ~!」と、
勝利の雄叫び、そして安堵・・・。
清盛にも義朝にも
同じように勝者の歓喜が表情に表れていた・・・。
そして、
彼らを迎える家族、一門の者たち・・・。
そこには「勝利の美酒」が待っていた・・・。
しかし・・・、
彼らは、武士であるが故の、
その「勝利の代償」も払わねばならなかった・・・。
それは・・・、
崇徳天皇は、流罪。
頼通は、自害。
そして、
重くとも流罪と考えられていた、
平忠正は、「死罪」の言い渡し・・・。
斬首・処刑、という「代償」・・・。
日本歴史上、最も長く、400年続いた平安時代・・・。
安穏と暮らしてきた貴族社会から
武士に生まれ、武士の世を目指してきた男が、
その「新しき武士の世」を開くために、
まず、やらなければならなかったことが、
叔父の「斬首」であった・・・。
その「代償」は、いかに大きなものか・・・。
ラストの清盛の表情では、
まだ、その残酷さが想像できず、
信西の、最後の言葉を信じられないようであった・・・。
まだまだ、そういう「世」であったのであろう・・・。
「死罪」など、ここ何百年となかった時代である・・・。
そこを、
そこまで、計算していたのか、この男・・・信西
いわば、死罪を復活させ、
武士の世へ
戦乱の世へ導いた張本人、と言ってもよいのではないだろうか!
どの時点から、
この武士の世を見据え、
源氏と平家をあやつり、
この厳罰なる処刑を言い渡すつもりであったのであろう・・・。
雅仁親王(後白河天皇)の乳父(めのと)になった頃からか・・・。
殿上人となり、白河上皇にも意見するようになってからか・・・。
後白河天皇が即位されてからの頃か・・・。
「世は、そちらに向かってうねっておる!」
「すなわち、天下大乱!」と、
清盛に檄をとばした頃には、
さすがに、武士の力の大きさを認めながら、
その力をうまくたばね、利用ようと画策していたのであろう・・・。
そうとは知れず、
やみくもに突っ走ってきた多くの「もののふ」たちは、
命を懸けて、
家族のため、一門のため、
敵に向かっていったのである・・・。
その「恩賞」=「代償」が、・・・。
しかし、
この「代償」も乗り越えなければ、
武士の世は来ない・・・!
しかし、
身内をこの手でなど・・・!
・・・どうする!清盛!