久しぶりに猫との暮らしが戻ってきて、以前の自分との視点の違いに気づきます。

 

かつて、子どもの頃から中年期までのあいだ、実家には常に猫がいました。

多いときには数匹。

学校から帰ると、玄関に座っている。膝に乗ってくる。

時にわがままで、でも許してしまう存在。

 

その日常はごく自然で、そこにあることが当たり前すぎて、

「ただ可愛い」としか思っていなかったように思います。

今思えば、その「可愛い」はたしかに愛情でした。

でも、それはどこかで「私を癒してくれる外側の存在」──

そんな見方だったのだと思います。

 

 

そして今、時間が経ち、改めて猫と共に暮らすようになった日々のなかで、

同じように撫でて、同じように見つめているのに、

心に芽生える思いの質が変わったことに気づきました。

 

 

たとえば、ふと横を見ると、丸くなって眠っている小さな背中。

その呼吸のゆるやかさに触れるだけで、胸の奥が静かにほどけていくのを感じます。

 

言葉では説明できないような、理由のいらない幸福感。

それは「癒される」ではなく、

「自分の中から、穏やかさが引き出されている」ような感覚です。

 

猫たちを愛しく思うというより、

彼らを通して「私の中にこんなにも愛しさがあったのか」と知る。

 

その発見のたび、静かな喜びが心に広がっていきます。

 

 

 

私たちはよく、「幸せは外側にはない」と言います。

けど、この体験を通して実感したのは、

「外側の存在に触れることで、内側の幸せに気づくことがある」ということです。

 

猫を見ているのに、自分の内面を見ている。

彼らの温もりに触れているのに、自分の優しさに触れている。

 

そんな時間を、毎日少しずつ過ごしています。

 

 

気づけば私たちは、自分自身を後回しにしてしまうことがあります。

役割や期待、過去の記憶に応えるように動くなかで、

自分を労ることができていないこともある。

 

愛猫たちを通して私が感じているのは、

「私は今、彼らに優しくしているようでいて、自分に優しくしているのだ」ということ。

 

愛とは、相手に注ぐものではなく、

相手を通じて自分の中に流れていると気づくものなのかもしれません。

 

 

愛猫と過ごす時間は、単なる癒しではありません。

それは、癒されていると思っていた時間が、

実は、自分が癒していた時間だったのだと気づかせてくれます。