昨今、ベテランといわれる国会議員先生方の失言が目立つ。

まぁ、国会でも県議でも町議でも同様だが・・・

たまに若い議員先生方も失言はあるがこれは置いおくとして、はたまた高齢者ドライバーの逆走なども多い。

そんなことを踏まえて、うちの地域には「歳をとると赤子に戻る」とか「年寄ればカバスぐなぐなる」(芳しくなくなる=人が悪くなる)というような考え方というか云われというか、そういうものがある。


それで何がバウムクーヘンかというと、バウムクーヘンの中心が本能のようなものだとすると、歳とともに人生経験が豊かになりバウムクーヘンの輪の如く理性やら知識やらモラルやらが重ねられ、徐々に人間性だとか性格だとか人格だとかが形成される(のではないかと思う)。

ところがそれは、人間としてまあまあの年齢やポジションにたどり着くまでであってそこから先、所謂高齢者と言われるようになるにつれバウムクーヘンの輪を1枚ずつ剥がすように、つまりそれまで積み重ねてきた理性やら知識やらモラルやらという人格とか性格のようなものが1枚ずつ剥がれ落ちてしまうのではないかと思う。

医学的なことは全くわからないが、脳が年輪とともに萎縮していくと云われるが、それはこういうことなのではないかと思ったりする。


    うちの親は今年で86になるが、はっきりとしたアルツハイマー病ではなくとも最近は物事を考えることが出来なくなってきたと言う。

面倒くさいことが出来なくなったというか、面倒くさいという感覚的なことさえも感じにくくなってきている。

それはまあ、年輪なりの認知症ということなのだろう。

目に見えたものの情報が、理性やらモラルなどのフィルターを通ることなく口からアウトプットされてしまう。

だから「気を遣う」的な行動というか心理というか、または相手を「思いやる」などというのはかなり高度なものなのだろうと思う。

こういうのも外側にあって最初に剥がれ落ちてしまうものの部類なのではないだろうか。

俗に、高齢者はわがままで身勝手というのはこういうことが当てはまってくるように思える。

バウムクーヘンの考え方を元に接すれば、高齢者というのはそういうものなのだと理解できれば付き合いやすくなるかもしれない。

ちょっと余談だが、本人は「まだボケていない」と言い、若かかりしの記憶や経験は鮮明に覚えていて詳細に話すことが出来る一方で、ついさっきのことは忘れてしまっている。

これは、バウムクーヘンの外側のメモリー的な部分が剥がれ落ちてしまっているためで若かかりし頃の記憶はまだ中心近くに残っているからと考えられる。

ついでに言うと、所謂「ボケた」かどうかの目安の一つに、「ボケたね。」と言われて「そうだね」と受け入れているうちはまだボケてはいなくて、「まだボケていない」と否定するとボケているということだ。

     話を戻すとこれはつまり、ベテラン議員先生たちの発言や失言と異口にして同音なのではないかと思う。

要するにいかに国会議員先生方であってもバウムクーヘンが剥がれ落ちてしまう歳にはかなわないといえるのではないだろうか。

その剥がれ落ちた議員先生に例の「◯◯たね。」「まだ◯◯てない!」というヤツに近いものが国会で議論されているのではないかと思う。

歳をとればとるほど面倒でわがままになってしまうのだ。

議員先生も。

そして高齢者ドライバーの例えば逆走や歩道走行なども、進入禁止⛔は見えていたとしてもそれが何なのかを考えられなくなっていたり、逆走を大して悪いこととも思えなくなっているのではないだろうか。

アクセルとブレーキの踏み間違いなどは、足は頭から一番遠いので何かの弾みでビックリすると頭からの指令よりも先に反射神経が勝手に反応してしまって全身が突っ張った状態になるのではないだろうか。

緊急事態でアクセルから足を離してブレーキを踏まなければという指令よりも、反射神経の突っ張った先がアクセル、ということなのではないだろうか。

勿論全てがこうだとは言わないが。


     俗に言う「歳をとれば赤子に戻る」とか「口が悪くなる」に当てはめてみるとドンピシャのように思えて仕方ない。


明日は我が身である。

「人格はバウムクーヘン」

さ、どうだろうか。