俗に「ウマが合う(合わない)」というのがある。
仕事の付き合いでもそういうのはある。
人間関係なんて複雑なようで単純でもある。(まぁ単純なことはないが・・・)
まだ若かりし日、定年間近という先輩となかなか「合わず」、辛い数年間を過ごした思い出がある。
この「合う(合わない)」。
話すことでそのウマが違ってきたりする。
また、全く逆のパターンもある。
合うなら話しても話さなくても自然と合うものなのだが合わないとなれば何をしても何を話しても、さらに何も話さなくても本当に辛いものだ。
その数年間を過ごした自分が今ではその年代となった。
今になってみればその先輩の気持ちというか何か複雑なものが分かるような気がする。
自分の周りにも、あの当時の俺のような思いをしている人がいるのだろうと思う。
嫌な思いをさせて本当に申し訳なく思う。
歳をとるとは嫌なものだ。
でも、世の中には歳を重ねるごとに魅力を増す人がいる。
そんな人達を観察していると、若い年代にいろんな経験をされてきているように思う。
辛くても悲しくても遠回りでも回り道でもそれが肥やしとなりいい青春時代を過ごし懐の深さというか人間に厚みを感じる。
自分はどうだろうか。
その青春と云われる年代は2度の交通事故や家も貧乏だった。
遊ぶとか楽しいという類いの言葉が俺の辞書には無かったように思う。
これを百歩譲って良く表現しようと思うと、逆境に向かう忍耐力。
だろうか。
でも、その深さや厚みにはそれだけでは全く足りない。
物事を楽しむポジティブな余裕がなければならないのではないかと思う。
話しが前後するが、その仕事の付き合いが難しかった頃の合わなかった事には自分なりの理由はあるので、それに気をつけて仕事しているつもりではあるが果たしてどうなんだろうか。
こういう時、一人っ子は辛い・・・
人との話し方もわからなければ相談の仕方もわからない。
基本は謙虚に誠実に、相手を思いやる気持ち。
「思いやり」だろう。
ところで全然変わるが、最近こう不安定な感じになるとこの仕事は合わないんじゃないかと思うことしばしば。
これまでのblogでもずっと前に「人間嫌い」みたいなことを何度か書いた覚えがある。
同じ様なことをいろいろ考えてみると、人間嫌いというよりは集団行動が嫌いということなのだろうと思えてきた。
この事は小学生時代から感じていたが、この頃は著しくそう思う。
この仕事においてこの苦手は致命的だ。
いっそのこと辞めて居酒屋でも・・・
などと戯けた事と何の根拠もない夢と希望と妄想を膨らませるばかりの今日この頃だ。
かといって考えれば考えるほど虚しくなる。
間違いなく家族を路頭に迷わすことになる。
そんなことは考えるまでもない。
悲しいかな安定と保障を人質に手も足も出ないこの仕事、辞めるに辞めれない。
何ともヤ◯ザな商売だ・・・