作曲の経験を思い返していてスコシーシずつ分かってきたのだが、それを書こうと思う。


バンドを10年近くやっていても、作曲をしようという欲求が湧くことは中田。


作曲をした26、7歳の頃までに、イケメンボーカルのバンドのギター担当、奇天烈個性派バンドのギター担当、あとは昭和歌謡のコピーバンドのギター担当、イケメン(?)ボーカルとのユニットのギター担当などをしていたが、沸かないものだった、作曲欲は。


作曲の仕方がわからん、というのも勿論あったが、大抵の場合はボーカルに作曲欲や能力があるケースが多かったので、俺は「君がやりたいなら、そりゃ君がしたら良い」と見守った。


ちなみに俺が初めて作曲するより以前に、表現を迫られた経験があった。大学生の時はじめにやっていたイケメンボーカルバンドでの出来事で、ボーカルに限らずドラムとベースもイケメンだった(俺も当時は一部の層からはイケメンと呼ばれた)。中でもベースは中身もイケメンで、ある日「かとぅもボーカルから言われたフレーズだけやなくて、自分っぽいフレーズ考えて弾きなよ」そういう事を真っ直ぐに言う男だった、俺は「お、おん」と次のスタジオで考えてきたギターフレーズを弾かないとしょうがない感じになった。


いざ家で作ってると、作ってる時点で恥ずかしいし、それを皆の前で披露するのかと思うともっと恥ずかしかった。結果としてマキシマムザホルモンを半分パクったようなフレーズを一曲分作って持っていき、その後はそれを弾いた。


その経験は実は大きな一歩だったように思う。


その後の奇天烈バンドでも、おっさんキレキレバンドでも需要対応型バンドでも、基本的にはボーカルに表現欲、メッセージ伝えたい感が強かったので、俺は見守った。


が、その後一人になった現在、やはりマキシマムザホルモン半分パクりフレーズを実家の自分の部屋で作った時のように、俺は必要に迫られては恥ずかしがりながらも同じような方法で表現を具体化して、人前で披露している。


今思い返してスコセッシ思うのは、他の人がやりたい表現ならその人がやれば良いやん、と思うのは今もそのままなので、他の人がやろうとしない表現だったり他の人が見つけていない表現こそ、自分がやるとしたら、やりたい表現なんだろうなと思う。

だから他の人と同じジャンルの事はやらないし、やったとしてもなかやか上手にはできない。


クローバー次回LIVEクローバー

2024.5.21@The Voodoo Lounge