8月6日。午前8時15分。


みなさんは何をしていましたか?


64年前の今日は、広島県広島市に核爆弾が投下された日だ。


1945年。当時の広島市民は約35万人。


そのうち、約14万人が被爆して亡くなった。


全身に火傷や放射能を浴び、のた打ち回りながら


亡くなっていったのだろう。


亡くなった人のほとんどが、何の罪もない普通の一般市民だ。


いつもと同じ朝を迎え、いつもの街を、いつものように歩いていたら、


上空600mで何かがピカッと光った次の瞬間、


ドンという音と共に想像を絶する熱風と炎と放射能に包まれた。


ほとんどの市民は、何が何だか分からないうちに


亡くなっていったんだろう。


一瞬のうちに日常が奪われ、髪の毛は抜け、肌は焼けただれ、


血を吐き、もがき苦しみながら亡くなっていったのだろう。


(言葉の表現が露骨なのは、それだけ自分の気持ちに対して、


 素直に話しているということを理解してください)


毎年、誰かが言っている、


戦争で得るものなど何もない


という言葉。


まったくその通りだと思う。


その反面、失うものは多すぎる。


もし、戦争で得るものがあるとすれば、それはきっと、


悲しみと苦しみ


だけだ。


唯一の被爆国として、戦争の悲惨さ、核爆弾の恐ろしさは


語り継いで行かなければならない責任があるのだ。


過去にそういう悲惨な事実があったことから


目をそむけてはいけないのだ。


オイラは今週末に中国地方、九州地方に行く予定がある。


広島・長崎の被爆の悲惨さに、もう一度


目を向けて考えたいと思う。



原爆の犠牲となった、全ての方々に哀悼の意を表します。



かっとび小僧