名盤と私61:The Kinks/ Something Else By The Kinks | 勝手にシドバレット(1985-1995のロック、etc.)

勝手にシドバレット(1985-1995のロック、etc.)

ロックを中心とした昔話、新しいアフロ・ポップ、クラシックやジャズやアイドルのことなどを書きます。

名盤と私61:The Kinks/ Something Else By The Kinks (1967)

 1967年に発表されたアルバム『サムシング・エルス』はキンクス版『みんなのうた』です。あのNHKの番組のテーマ曲が♪タン、タタン♪と流れたあとに、学校を舞台にした挿絵が映し出されて、David Wattsが♪ファファファファ~ファ♪と始まってもおかしくありません。そのほかにもサーカスの道化師の歌や午後の紅茶の歌などがフレンドリーな絵と一緒に茶の間に届けられ、最後は川の向こうに沈む夕陽を讃えて終わります。
 そんなのロックじゃないと言う人がいるかもしれませんが、エディ・コクランの名曲を連想させるタイトルをアルバムにつけて、ここでキンクスが表現しているのは「キンクスによる、べつの何か」としてのロックです。1967年の世の狂騒もどこ吹く風に、「ナイス・アンド・スムーズ」でノスタルジックでさえあるメロディーにのせて、レイ・デイヴィスはロックの土俵の外で暮らす人々に視線を向けています。このアルバムは「ロックと距離をおいたロック」の先駆的な作品だと私は思います。

 なんでそんなことをするのか、理解に苦しむ人もいるでしょう。だって、ほんの数年前に問答無用なリフの醍醐味をロックに導入したのは、ほかならぬキンクスです。その道をまっすぐに突き進んで、ゴボゴボと沸騰するロック・シーンと若者の熱狂の渦にダイヴしていれば、彼らの歴史は違っていたかもしれない。
 だけどキンクスは「べつの何か」を選んだんですね。ひとつ前のスタジオ・アルバム『フェイス・トゥ・フェイス』でも兆候はあったのですが、あれはまだスウィンギン・ロンドンの空気を漂わせています。しかしこの『サムシング・エルス』から、いよいよ本格的に、ロック的なカッコよさとは無縁の人々や事柄を題材とするようになっていきました。その視線にはイギリス的な皮肉が利いているのですが、「だからアイツらは馬鹿でロックは偉いのだ」との優越感に安住せず、クールでもヒップでもない事柄の中に歌のテーマとしての価値を見出していったのです。
 次のアルバムは『ヴィレッジ・グリーン・プリザヴェーション・ソサエティ』です。ジミ・ヘンドリックスやクリームやスライ&ザ・ファミリー・ストーンの年に「村の緑地を守る会」。そんな変人の時期が約10年も続きます。

 ところで、この「名盤と私」コーナーでは、できるだけ有名な作品を選んで記事にするようにしています。ディープ・パープルの『マシン・ヘッド』やイーグルスの『ホテル・カリフォルニア』を取り上げたのも、そうした大有名アルバムが軽視されがちな傾向を残念に思っているからです。夏目漱石の著作でいうと『吾輩は猫である』。太宰治だと『人間失格』。夏休みの課題図書なみにベタなセレクションを心がけています。
 でもキンクスの「名盤」ってどれだろう。ちょっと困るんですね。私が彼らのアルバムを聴きはじめた1980年代の後半には、『アーサー、もしくは大英帝国の衰退ならびに没落』(1969年)か『ローラ対パワーマン、マネーゴーラウンド組第一回戦』(1970年)が定番でした。どちらも素晴らしい内容を誇るアルバムです。
 ただ、それらが『吾輩は猫である』のような夏休みの課題図書となりうるか。『マシン・ヘッド』の間口の広さも、キンクスの上記2作にはありません。それぞれ、VictoriaやLolaといったヒット曲に釣られてドアを開いてみると、けっこうややこしい階段や、よくわからない小部屋があって迷ったりします。
 じゃあ何を選ぶべきか。個人的には『マスウェル・ヒルビリーズ』(1971年)が彼らの最高傑作だと思います。でもあのアルバムはある程度キンクスに慣れていないと、いちげんさんには見通しの悪いところもある。
 となると、(初期のリフ曲群は別腹として)『サムシング・エルス』が入口には妥当なのではないでしょうか。王道の名盤としては風格が足りないけれど、私はこれを挙げてもいいと思います。

 このアルバムの1曲目、David Wattsはレイ・デイヴィスがスタジオ内で呟いた「ナイス・アンド・スムーズ・・・」という言葉から始まります。これが何を指しているのかは知りません。しかし、そのあとに鼻声で続く♪ファファファファ~ファ♪の脱力気味な軽さから、「ハード・アンド・ヘヴィー」の対極を意図していることが汲み取れます。
 同曲で歌われているのも、冴えない少年のボヤきです。なにをやってもダメなボク。同じ学校にはデヴィッド・ワッツという男の子がいて、勉強もスポーツも得意で女の子にモテまくり。あ~あ、ボクもデヴィッド・ワッツみたいになりたいなぁ。そういう歌です。
 と思っていると、次がDeath Of A Clown。道化師が亡くなって、サーカスの一座が悲しみにくれている様子が、長閑でコミカルな調子で描かれます。イントロとヴァースのメロディーを日本人は♪夏が来れば思い出す~♪と歌いたくなるし、当時のレイの妻だったラサ・デイヴィスが加わったコーラスはノスタルジックな趣きがあります。
 さらに3曲目のTwo Sistersでは姉妹間に生じる嫉妬が歌われて、アレンジに用いられたハープシコードとヴィオラとチェロによって英国性が強調されます。
 アルバムはだいたいこんな調子で、Lazy Old Sunが1967年らしいサイケデリック風味で捻じれている以外は、激動する時代の息吹をあまり感じさせません。感じさせるのは「キンクスの若者離れ」です。

 私は1987年頃に初めて本作を聴いて、二つの点で「とても面白い」と気に入りました。
 ひとつは、このアルバムよりも3ヶ月早い1967年6月に発表されたビートルズの『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』と、表面的な違いはあっても、底部で通じていると思えたからです。
 『サージェント・~』は『サムシング・エルス』とは比べ物にならないほど音の実験が凝らされたアルバムですが、その向こうにはイギリスの市民生活のスケッチがさりげなく浮かび上がります。学校生活が回想されたり、娘に家出された親が出てきたり、朝食のテーブルにつくジョンがいるし、二階建てバスに乗り込むポールがいます。また、そこでもサーカスの曲芸が庶民を沸かせています。方向性としては、レイ・デイヴィスの目指すものと共振するところがあったはずです。
 もうひとつは、私が『サムシング・エルス』を聴いた1980年代には、ザ・スミスといいニュー・オーダーといい、イギリスの尖がったバンドはパンク・ムーヴメントを経験した世代でもあり、ロックへの批判や疑念を持ったロックが支持されていたのです。
 で、『フェイス・トゥ・フェイス』や『サムシング・エルス』や『ヴィレッジ・グリーン・~』でのキンクスを、私はザ・スミスの先祖であるかのように受け止めました。もちろん初期のリフ・ロックも特大級に好きなのだけど、キンクスを全アルバム追いかけるファンになったのは、そこに「べつの何か」があったからでした。

 とは言っても、本作でレイ・デイヴィスが声を荒げてロックを否定しているのではないのです。あの人は基本的に、そういうことはしない(だから一筋縄ではいかない)。
 David WattsにしてもWaterloo Sunsetにしても、ちゃんとロック・バンドのフォーマットを通じて音を出しています。イギリスの民謡みたいなHarry Ragでのミック・エイヴォリーのドラミングも楽しい。彼とピート・クウェイフのベースが中心となって運ぶ角ばったビートのおかげで、1960年代のキンクスらしさは崩れていません。
 Situation Vacantは、姑に言われて転職しなければならなくなった男の歌で、それ自体も「若者離れ」で面白いのだけど、『フェイス・トゥ・フェイス』で培った小ぶりのバウンドへの曲の収納が活かされています。
 デイヴ作のLove Me Till The Sun Shinesの鷹揚な広がりもいいし、Lazy Old Sunでのコード進行が律儀に半音下降してゆく素朴なサイケ感も好ましいです。

 あるいはレイがボサ・ノヴァのスタイルでアンニュイに歌うNo Returnやスタンダード調のEnd Of The Seasonも、それぞれの元ネタに寄せつつ、ブリティッシュ・ロックのセンスが慎ましくも光っています。Funny FaceやWaterloo Sunsetなど、初期よりも控えめかつ印象的にギター・リフが使われているのも聞き逃せません。
 そして『キンク・コントラヴァーシー』『フェイス・トゥ・フェイス』とバンドに貢献してきたニッキー・ホプキンスのキーボードが、ますます曲を引き締めています。このアルバムはAfternoon TeaやWaterloo Sunsetのようにバック・コーラスの味わいが耳に残る曲が多いのですが、それはニッキー・ホプキンスの的確なサポートにも当てはまります。

 アルバム全体はソフト・ロックっぽいとも形容できるでしょう。でも、ひとつひとつの曲にはピリッとしたスパイスが仕込まれています。レイ・デイヴィスの歌は、いかにもな強面の表情はしていないけれど、独自の道を進んでゆく芯の硬さと、だけどまだ人懐っこい笑みが、油断のならなさと安心感を同時におぼえさせます。
 たいていのバンドの場合、変化は内省をともなうものです。キンクスのこのアルバムで言うと、麗しの名曲Afternoon Teaにそれは少し滲んでいます。しかしレイ・デイヴィスは内省的というよりも観察的な作家で、このアルバムからその度合いも深まっていったのではないでしょうか。 
 たとえばこのアルバムを1974年頃のキンクスが作っていたら、デヴィッド・ワッツというキャラクターは、『桐島、部活やめるってよ』で東出昌大が演じたイケメン高校生のように、じつは空虚を抱えているという設定になったかもしれない。1967年の『サムシング・エルス』の段階では、そこまで複雑ではありません。もっとシンプルです。

 にもかかわらず、最後に置かれたWaterlo Sunsetのメロディーは、いろんな光と影をホロ苦さをもって想像させます。
 「ウォータールーの夕陽さえあれば、友達なんかいらない」と呟く主人公は、おそらくDavid Wattsでボヤいていた男の子と同じ種類の人でしょう。

 違っているのは、ここでの彼は「ウォータールー駅で待ち合わせる」恋人たちを眺めても、「あんなふうになりたいなぁ」とボヤいていないことです。彼はそのカップルを観察し、ロンドンの街を歩く人々を観察し、タクシーのライトが道を走って行くのを観察しています。その視界の解像度が高くなるにつれて、自分の周囲に人がいないことをイヤでも思い知らされる。最高の「ご当地ソング」として開かれた曲であり、孤高を歌った「個人ソング」として多くの人の心にも届く力を持っているのです。

 そんな観察眼に映った夕陽の美しさが、あのメロディーで、トゲのある温もりと哀感をもって表現されています。その美しさは「キンクスによる、べつの何か」が咲かせた最初の花です。キンクスの歴史のいちばんユニークなパートが、この『サムシング・エルス』から始まるわけです。

関連記事:The Kinks/ Think Visual

                             / Phobia

                             / To The Bone