Pixies/ Doolittle (1989) | 勝手にシドバレット(1985-1995のロック、etc.)

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 燎原の火とでも言いますか、1990年前後に興ったグランジ/オルタナティヴの勢いはあっというまにアメリカのロック・シーンを覆い、防ぎようのない強さで世界へと燃え広がっていきました。
 決定打となったのがニルヴァーナの『ネヴァーマインド』(1991年)であったのは言うまでもありませんが、細かく追ってゆくとその5年、6年、いやもっと前からアメリカの各地でアンダーグラウンドな胎動は生まれており、70年代~80年代パンクを源とするそれらの動きが、ドミノ倒しの分岐が一気に集まるようにして合流したところに『ネヴァーマインド』の爆発がありました。
 
 しかし、ここ日本にいてそうした動きはまったく伝わってきませんでした。R.E.M.は高く評価されていたし、バッド・ブレインズも日本盤が出たりしたのですが、そこにどんなマグマが働いているのかを把握していた人は少なかったでしょう。
 雑誌メディアにしても、80年代に新しいロックとして紹介していたのはおもにイギリスの動きでした。私は88年に輸入盤屋の店頭でソニック・ユースのアルバムを見かけたときに、なんかパンク的なことを細々とやっている若者がいるんだろうな、という程度の印象しか持ちませんでしたし、彼らの傑作『デイドリーム・ネーション』を聴いても当時はそんなに心を動かされませんでした。
 
 ピクシーズのセカンド・フル・アルバム『ドリトル』を買ったのは、1989年のこと。たしか年末に近い時期の中古盤屋で、リリースから1年未満だったにもかかわらず、それは1000円を切る値段を付けられていました。
 バンド名には聞き覚えがありました。たぶん、先のアルバム『サーファー・ローザ』の雑誌レヴューを読んで名前だけは頭に入っていたのだろうけれど、どんなバンドなのかは見当もつかない状態。レーベルが4ADなので、コクトー・ツインズなどの耽美的な音を出すイギリスのバンドかなと勘違いしたほどです。
 じつは、これと同じことを同じ89年のやはり年末に体験していました。ギャラクシー500の『オン・ファイアー』との出会いです(記事はこちら)。あのときも、イギリスのラフ・トレードから出ているバンドだったので聴いてみたら、実際はボストン出身のトリオでした。
 ピクシーズもボストンのバンド。ボストニアン・ロックの歴史をたどればジョナサン・リッチマンのモダン・ラヴァーズに行き着きます。そう考えるとピクシーズもボストンの古い街並みの奥に棲息する深海魚みたいな連中だなと納得できるのですが、私は完全に”ブリティッシュ耳”でこのアルバムと向きあいました。
 1曲目のDebaserがエキセントリックでアッパーでXTCみたい、というのが最初の感想でした。でも、XTCほどポップで卓越したヒネりの手さばきはありません。ブライアン・イーノの初期のソロ作にも通じるヒステリックさも感じるけれど、知性の趣きという点では、これもちょっと異なります。
 なんというか、もっとカジュアルなんです。カジュアルに、破けている。たとえて言うなら、テーブル・クロスのクタった手触りにおぼえる使用感。気の置けない友人を家に迎えるように、リーダーのブラック・フランシスは常温で絶叫しています。これを聴くのは異様な世界に突き落とされる体験とはまた違うもので、よく知っている友達が楽器を手にして豹変を演じるさまをニヤニヤしながら見ている感覚に近い。
 
 べつの言い方をすれば、カレッジ臭。R.E.M.なんかも初期はそこから出発しているし、ピクシーズの音楽だけに特にそれを指摘できるわけでもないのですが、ギャラクシー500とともに、カレッジ・チャートの”カレッジ”の言葉がものすごくリアルに響く実感がありました。
 Debaserの歌詞では、「映画を観たよ!目ん玉をスパッと切るんだ!」とシュールレアリスム映画の古典の非常に有名な一場面を持ち出して、♪I am un chien andalusia♪(俺は『アンダルシアの犬』だ!)とそのタイトルを絶叫します。
 で、コーラスでは「debaserになりたいな」と来る。debaserという言葉には”値打ちを台無しにする残念なヤツ”のニュアンスがあるのでしょう。南海キャンディーズの山里亮太が「ももクロを聴こうかな」とツイートしたら「ももクロに謝れ!」と叩かれた、あれもdebaserなんじゃないですか?そんなdebaserになりたいというシュールに屈折したこの宣言が、ジェネレーションXと呼ばれるアメリカの若者たちにアピールした度合いは大きかったはずです。
 
 もうひとつ引き合いに出すと、この翌年にアメリカで『ツイン・ピークス』が放映されて話題を呼んだデヴィッド・リンチ。
 もっとも、『ツイン・ピークス』は当時のコンテンポラリーなロックではなく1950年代のオールディーズと奇妙に共振する作品でしたが、あのビザールな世界がテレビで受け入れられる時代とピクシーズ、ひいてはその後のオルタナティヴ・ロックの人気とは無関係ではないでしょう。
 また、刺激的な都市のど真ん中ではなく、郊外に並ぶ一般の家庭の子供が生みだしているような、ありふれた日常生活を背負いながら狂った歪(ひず)みを感じさせたのも、『ツイン・ピークス』がオンエアされる直前のアメリカから聞こえてきたロックとしてリアリティがありました。
 
 ところで、2004年のUNCUTのインタビューで、当時39歳にして体型と生え際を世間からイジられていたブラック・フランシスはこんなことを吠えています。
 「俺が植毛とかするとでも思ってんのか?たとえ頭蓋骨がハゲてもそんなことするか!俺がロック・バンドをやってるガラじゃないってか?ビギー・スモールズ(ノトーリアス・B.I.G.)にデブですねって言うヤツぁいないだろ、この低能のボケナスが。なのに俺がズングリムックリだってからかうのか?<中略>俺がヘロイン中毒みたいな見てくれじゃないからってコケにしやがって。馬鹿か!死ね!」
 
 ブラック・フランシスがどういう人物なのかをまったく知らずに聴いた89年の私は、きっと目つきも虚ろにボサボサの髪を振り乱しながらシャウトする痩せたインテリ青年なのだろうと想像していました。そう、若かりし頃のマイケル・スタイプみたいな。だから、写真で彼の外見を確認したとき、そのあまりに平凡というか平凡以下の、ロック的な華がまるでない容姿に面喰ってしまいました。
 しかし、オルタナティヴではこういう外見のミュージシャンがヒーローとなり、外見が冴えないことがむしろ音楽的な内実に信を添える部分もかなり増えていったんです。ウィーザーのリヴァース・クオモやベン・フォールズなどはそこから勇気をもらったはずですし、ブラック・フランシスよりはるかにカリスマ性のあったカート・コバーンを筆頭に、ピクシーズの影響を受けたオルタナのスターたちもいました。
 
 『ドリトル』は全15曲38分のアルバムで、2分から3分の短い曲が詰め込むように収録されています。のちにブリーダーズやアンプスを結成してオルタナの女性ミュージシャンたちの姉御的な存在となるキム・ディールがバウンドの少ない硬質なベースを弾いて、その不愛想なリズムにトゲをまぶすようにして、ブラック・フランシスとジョーイ・サンティアゴがノイジーなギターを被せていく。デヴィッド・ラヴァリングのドラムは調整役といった感じで、シンプルでいて手堅い。テレヴィジョンの面影をしのばせます。
 2曲目のTameは彼らがパンクからスタートしたことを窺わせつつも、その緩急の躁鬱じみた唐突な変化はニルヴァーナの先を行っていたと言える秀逸さです。
 日本の会社員の一家心中をテーマにしたらしいWave Of Mutilationではポップなサビへの展開に毒がこぼれます。こうしたコンパクトな構成の妙味はガイデッド・バイ・ヴォイシズなどと共に後進へのお手本となったことでしょう。
 I Bleedもまたオルタナでは基本中の基本と言える、緩いビートにノイジーなギターを絡ませた曲。軽いサイケデリック味も含まれており、ドラムはタムのオーセンティックな鳴りで煽ります。
 Here Comes Your Manはフォーク・ロック調の曲とギターのビートリーなフックで聞かせるキャッチーな曲。メロディーも口ずさみやすい。
 Deadは2分21秒の短い時間の中でリズムの起伏をつけ、ヴォーカルとギターの呼応などもよく練れた曲。インストゥルメンタルのパートが簡潔でいて充実しています。
 Monkey Gone To Heavenでは余裕のある曲作りに唸らされます。ヴァイオリンとチェロを使いながらも、ピクシーズのエッジが拡散していないアレンジも見事。そして、キム・ディールの素人っぽいベースが底部で安定を揺さぶっているのです。
 Mr.Grievesはレゲエふうにリズムを刻むギターに始まり、それがロカビリーっぽい展開を経て、ちょっとブルース色のあるエンディングに移ります。
 Crackity Jonesは1分24秒の曲で、前曲を受けてか性急なビート感と荒々しいリズム・ギター、それに頭のイカレたようなヴォーカルの歌芸で一気に聴かせます。
 La La Love Youはシンコペートするドラムのファンキーなノリに「おっ?」と耳をそばだてていると、サン・シティ・ガールズ風味のギター・インストに転じ、急にアコギのリズム・ストロークが強調されて、ドラムのデヴィッドがラウンジ的に歌い流していきます。奇妙な寛ぎをもたらす曲で、私の大好きなナンバー。
 No13 Babyはアルバム前半のノイジーなギター曲に戻って、ここでもベースが素人臭い手つきでクール・ダウンする効果をあげています。しかし、すごいな、この単純きわまりないベースは。
 There Goes My Gunは、ほぼインストと言っていいでしょう。ヴォーカルは、タイトルのコール&レスポンス以外ではブラック・フランシスが何やらバックで叫ぶのみ。このベースも異様な太さで主張しています。
 Heyは導入部でハネるリズム・ギターが途中のブレイクをR&Bの味わいで響かせる曲。リヴァーブを得てサイケデリックに爪弾かれるリード・ギターとの組み合わせもヘン。
 Silverはスライド・ギターを用いてトラディショナルな空気をかきたてるも、逆にどこにも収まらずに漂っているのが面白いです。
 最後のGouge Awayは歌詞に「サムソンとデリラ」からの引用が多く、そこにドラッグの問題も重ねられてある気がします。Monkey Gone To Heavenでも環境問題に視線を投げかけているし、じつは意外と社会派の面があるバンドなんです。ただ、ブラック・フランシスはそれらを個人の内的な不安に沿って曲を書きます。このGouge Awayでもそのセンスが活かされていて、音楽的にも前半のノイジーな曲に抑制を加えたタッチで仕上げています。
 と、あらためて聴いてみると悪ノリしたような感もおぼえるのだけど、そこに溺れることなく、どの曲も攻めの姿勢とポップのバランスを保つ音作りには注意が払われています。このアルバムを聴いてから数年後に、前作にしてこれも秀作の『サーファー・ローザ』に遡ってみたところ、『ドリトル』はそれに比べて格段に聴きやすくなっていたことがわかりました。アレンジの引き出しが増えたこともあるし、絶叫やノイジーなギターをどう聞かせるか、じっくり取り組んだ結果であると想像できます。
 
 でも、それ以上に言えるのは、ピクシーズが深く踏み込んでいった先に彼らなりのエキセントリックにしてポップな変容があったということです。ピクシーズにかぎらず、すぐれたロック・バンドはここを経て次へと進んでいくものです。
 そして、89年にこの地点にまで達したピクシーズを待っていたのは、MTVヒットに退屈しきっていた若者たちでした。1990年の『ボサノバ』、1991年の『世界を騙せ』(原題 Trompe le Monde)はピクシーズがついに新しい時代のアーチをくぐり抜けた幸福な2作です。そこでより鋭く逞しく成長したピクシーズの姿もいいですが、『サーファー・ローザ』やこの『ドリトル』を忘れずに聴くと、その幸福の意味もいっそう伝わりやすくなると思います。