名盤と私31:Public Image Limited/ Flowers Of Romance | 勝手にシドバレット(1985-1995のロック、etc.)

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ロックを中心とした昔話、新しいアフロ・ポップ、クラシックやジャズやアイドルのことなどを書きます。

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 LPにせよCDにせよ、アルバムのジャケットが中身の音の印象に少なからぬ影響を及ぼすことはよくあります。
 たとえばピンク・フロイドの『原子心母』。あれを聴いてると、レコーディングで作業しているバンドの様子よりも、牧草地で牛を相手に演奏している姿が思い浮かんだりします。実際のスタジオ内の風景は見えてきません。

 パブリック・イメージ・リミテッドの3枚めのスタジオ・アルバム『フラワーズ・オヴ・ロマンス』も、強烈なインパクトを与えるジャケットに収められています。
 このアルバムをはじめて手にした18歳のとき、私はこのジャケットに写る女性は場末の酒場のカルメンなのだろうと思っていました。一輪の花を口にくわえて、尋常ではない目つきでカメラを凝視している、あの女性です。
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 彼女の名はジャネット(Jeanette)・リー。このアルバムからPiLの正式メンバーに迎えられましたが、実質的に音楽面で貢献したわけではありません。それよりもジョン・ライドンの精神的な拠りどころとなった面が強いようです。PiLが出演した1981年の『トップ・オヴ・ザ・ポップス』では、ジャネット・リーがチェロの当てぶりで参加しています。
 あれは1986年の秋ごろだったので、アルバムのリリースから5年たっていたことになります。大学の帰りに立ち寄っていたレンタル・レコード屋でLPを物色しているときに、『フラワーズ・オヴ・ロマンス』のジャネット・リー姐さんと目が合いました。
 もし、こんな異様な目つきをしたお姐さんが戸口に立っているお店があったとしたら、よほどの物好きでないと、「一度入ったら出てこれなくなるんじゃないか」と怯えて避けて通るでしょう。
 しかし、私は物好きな若者でした。ブッ壊れたもの、ワケのわからないもの、大歓迎。だから、ジャネット・リー姐さんと目が合うや、「望むところや!」と意気揚々レジにそのレコードを持っていきました。

 帰宅して、いそいそと盤を取り出して針を乗せる。すると、ミャンミャンミャンミャンと虫の声みたいな音がかすかに聞こえて、耳をすましてしまいました。
 そこに、ド~ン!
 ♪ア~~ラ~~、アッ!♪、ド~ン!
 もう一回、♪ア~~ラ~~、アッ!♪、ド~ン!
 そして、ドンドドンドンドンドン!ドンドドンドンドンドン!
 太鼓です。どこの部族の集会が始まったのかと思いました。私はオッタマゲて硬直してしまい、身動きができなくなりました。
 目を閉じても、逃れられない。それどころか、あのジャネット・リー姐さんがタイマツのもとでユラユラと踊りながら手招きする姿が脳裏に浮かびます。それ以外、なんにもない。
 パンクなのかロックなのかわからない。でも、まぎれもなくパンクだしロックでした。トータルで40分にも満たない時間、緊張感で金縛りにあっている状態で聴き終えました。

 そもそも、私はPiLのことを深く知りませんでした。以前、『ハッピー?』というあまり面白くないアルバムについて書いた長い記事で述べたように、最初に聴いたのは83年のシングルの(This Is Not A)Love Songでしたが、「ヘンなディスコだなぁ」と感じた程度。
 それがいつのまにか彼らのもっとも過激な実験作として名高い『フラワーズ・オヴ・ロマンス』に挑んでいました。少し前に書いた、ミカドの曲にまつわるほのかな恋の思い出(こちら)から1年とたっていなかったのに、グチャグチャな音楽を浴びつづけたいと日々探し回るようになっていたのです。
 『フラワーズ・オヴ・ロマンス』はリズムのアルバムです。もちろん、ジョン・ライドンの中東めいた奇妙なコブシのヴォイス・パフォーマンスがあって、ギターの音から逸脱していくキース・レヴィンの個性的なトーンもありますが、主役はマーティン・アトキンスやほかの2人が叩きだす野太くて音圧の高い太鼓の音です。

 もともと、PiLの音楽性を際立たせていたのは、素人同然だったジャー・ウォブルの縦横無尽にのたうつベースでした。レゲエっぽいけどクラウト・ロック的でもある、オクターヴの往復にためらいのない自在なセンス。彼のベースが繰り出す不穏なうねりこそが、ファースト・アルバムや『メタル・ボックス』を成立させていたと言えます。
 そのベーシストが脱退し、PiLが『メタル・ボックス』の世界に戻れなくなったとき、「だったら、ベースはナシで」とべつの方向に進みだしたところがこの時期のPiLの凄さです。そっちへ行くと、もうロックとも呼んでもらえなくなっちゃう。それがわかっていても、そっちへ進む。未体験の音がそこにあるから。

 日本の音頭にも通ずる頭打ちを積極的に取り入れ、アルバムはロックのバック・ビート以上にエスニックなダウン・ビートが強調されています。それが強迫的なテンションを生み出す音響のスリルが、この『フラワーズ・オヴ・ロマンス』にはありました。
 途中でガムランを思わせる箇所もあって、彼らと同期のザ・ポップ・グループからの影響をうかがわせます。でも、PiLのこのアルバムは一聴してまがまがしいものを連想させながらも、覚醒したかのような明瞭さがサウンドの硬度を高めています。
 プロデューサーは、当初のスティーヴ・リリーホワイトから、20歳の駆け出しエンジニア・アシスタントだったニック・ローネイに交代しています。
 高い資料性を誇るP.i.LのファンサイトFodderstompfがおこなったローネイのインタビュー(こちら
)を読むと、彼とPiLとの出会いはこのアルバムに先立つ曲、Home Is Where The Heart Is(のちにシングルFlowers Of RomanceのB面となった)のレコーディングだったようです。
 当時、最新のミキシング・コンソールだったSSL400Eを扱いかねていたチーフ・エンジニアに代わって、新人のアシスタントだったローネイがこれを難なく操作。さらにダブ的なディレイを求めるジョン・ライドンのリクエストに対しても、やはりダブに熱狂していたローネイはその意図をすぐに汲み取って具現化できたそうです。

 すると、ライドンがローネイに向かって、「ヨーヨーみたいにミキサー卓を出たり引っ込んだりしてないで、おまえが堂々とエンジニアの席についてやったらいいじゃないか」と乱暴に提案。
 ライドンはやがてチーフ・エンジニアがトイレに立ったすきにコンソール・ルームのドアにカギをかけ、あわてて電話をかけてきたその人に「おまえの仕事は持ってかれたよ。クソして寝てなさい!俺たちはおまえにはわからない音楽を作ってて忙しいんだから」と応答したとのこと(表情が目に浮かぶ!)。
 そこでPiLの信を得たローネイは続くアルバム用の本格的なセッションにも起用されます。一連のセッションでは、誰かがアイデアを出して、それをやってみようと乗って、そうしたやり取りの積み重ねで『フラワーズ・オヴ・ロマンス』のあのユニークな音が生まれたようです。

 私はこのアルバムに興奮し、まずはエキセントリックな異物として愛用していました。しかし、だんだんと、もしかしてこれは楽しい音楽なんじゃないか?と思うようになりました。
 たしかに不気味な空気を醸し出すアルバムです。でも、決して根っから狂ってはいません。
 なかなか賛同を得られない点なのだけど、このアルバムを支えているのは、D.H.ロレンスが「正気の革命」という詩に書いた、「革命を起こすのなら、真面目にやるな。リンゴの荷車をひっくり返すのが愉快だ、てなくらいの気持ちでやりたまえ」を想起させる面白がりようです。嬉々として実験にいそしむPiLの姿がアルバムのあちこちから垣間見えます。

 Track8で、ドラム・パターンのお尻に余分な拍がくっついているのが私には昔から謎でした。
 あれはAMSデジタル・サンプラーで生ドラムをサンプリングし、ループを作ろうとしたところエディット機能をコントロールできず、どうしてもリズムがおかしな余拍を残してループしてしまったとのことです。だったらそのまま採用してやれ!と強行して、ああいうイビツな変拍子風味に仕上がったそうです。
 また、私が初めて聴いてオッタマゲた1曲目のFour Enclosed Wallsでは、ミッキー・マウスの懐中時計をフロア・タムの上に置き秒針の音を反響させ、さらに2つのハーモナイザーで15秒のディレイをかけて左右に振り分け、それを7分間録音する。イントロの虫の鳴き声のような音は、ディレイがかった秒針の反響だったんですね。で、ライドンがタバコの箱の内側に殴り書きした歌詞をうたい、ヴォーカルはワンテイクで終了。

 ほかにも、テープで逆回転させたピアノや、テレビでオンエアしていたオペラを録音したコラージュのようなビートルズ的な試みもあります。共鳴用のラッパが付いた”ストロー・ヴァイオリン”もこのアルバムの刺激のひとつです。
 ローネイは、ピーター・ゲイブリエルのサード・アルバム(顔が溶けてるジャケットの、名盤!)にエンジニアとして参加したヒュー・パジャムの作業を見たことがあると語っています。そこでフィル・コリンズが叩く目の覚めるような音響のドラム・サウンドを応用したのが『フラワーズ・オヴ・ロマンス』でした。
 ある日、フィル・コリンズがローネイを介してライドンらと対面すると、なんと意気投合したというから、人と人の仲は面白いです。のちにフィルはソロ・アルバム制作にニック・ローネイを起用し、ファースト・ソロには『フラワーズ・オヴ・ロマンス』の方法論をポップに展開した部分があるのは有名な話。

 こんなふうに、戸口で立っているジャネット・リー姐さんの存在に「命までとられるんじゃなかろうか」とドキドキしながら入ってみて、時間をかけてじっくり聴いていくと、意外とレコーディング作業の様子が糸を手繰り寄せるようにして伝わってくるのも『フラワーズ・オヴ・ロマンス』の醍醐味です。そこがヤバいのだし、楽しい。
 ジャネット・リー姐さんが今ではラフ・トレードのレーベル経営陣の座についているというのも、なんだか痛快です。