David Bowie/ Black Tie White Noise (1993) | 勝手にシドバレット(1985-1995のロック、etc.)

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 デヴィッド・ボウイが亡くなった直後に、ソマリア出身の妻・イマン・アブドゥルマジドが発表したメッセージは、「人生とは、傷つくことを恐れ行動するためのものではなく、生まれてきたことを証明するために、傷跡を集めるためのもの」というものでした。
 これを読んで私は激しく心を揺さぶられました。たいへん失礼ながら、ボウイが元モデルの彼女と再婚した際には、どうせすぐ別れるだろうと思っていたのですが、大間違いでした。
 1993年の『ブラック・タイ・ホワイト・ノイズ』は彼女との再婚が大きな原動力となって作られたアルバムです。こんな素晴らしい女性と巡り会えて伴侶となれたら、そりゃあボウイほどの男なら音楽にも奮起するでしょう。デヴィッド・ボウイのファンとして、イマンに感謝したいくらいです。
 
 このアルバムがリリースされる前に、ボウイの現在進行形の活動に私が向けていた期待は決して大きいものではありませんでした。
 アメリカのライコ・ディスクから黄金期のアルバムのCD化がスタートしたのは1990年の1月。ベスト盤の『チェンジスボウイ』と『スペース・オディティ』『世界を売った男』『ハンキー・ドーリー』を皮切りに、数作ずつ紙製のロング・ケースに入って発売されました。
 『ジギー・スターダスト』は先んじて86年にCD化されたことがあったらしいのですが、私は店頭で見かけた記憶がありません。80年代後半にデヴィッド・ボウイの70年代のアルバムを聴くために、1800円の廉価LPをまだ置いている店を探したり、中古盤屋をまわったり、レンタル・レコード屋をあたった人は多いでしょう。
 80年代も末期、そろそろ「レコード屋」と呼べなくなってきた店頭に陳列されていたボウイのCDは『レッツ・ダンス』『トゥナイト』『ネヴァー・レット・ミー・ダウン』のみ(山崎洋一郎さんが当時このことを嘆く文章を書いていました)。89年になってそこに加わったのがティン・マシーン。冗談みたいな話ですが、それが町のCD屋で買えるデヴィッド・ボウイのすべて、という時期があったのです。
 
 そんななかで、ついにCDとなったボウイの70年代作品。輸入盤店で働いていた私は気合いを入れてポップを作り、自分と同年代の若者が目を輝かせてそれらをレジに持ってくる姿を何度となく目撃しました。
 このリイシューにあわせて、ボウイは過去の作品を封印するための「SOUND + VISION」ツアーに出ました。当時のボウイはまだ四十代の前半です。今にして考えれば、そこから先々のキャリアをStarmanや"Heroes"をライヴで歌わずに済むはずがないのですが、私も若かったので彼の封印宣言を鵜呑みにしていました。
 
 デヴィッド・ボウイにネガティヴな思いをもっとも強く抱いたのは、この90年代初頭です。
 こちらの記事
でも書いたように、私は『レッツ・ダンス』が好きだし、その後の『トゥナイト』もそこそこ気に入っていました。『ネヴァー・レット・ミー・ダウン』はさすがに擁護しきれなかったけれど、80年代はベテランのロック・ミュージシャンがスランプに陥っていた時期でもあり、ボウイもいつかまた復活してくれるだろうと期待を持ち続けていました。
 ところが、その次が「ワイルドなロックンロールに回帰した」という触れ込みで結成したバンド、ティン・マシーンです。これも演奏面に楽しめるところはあったとは言え、曲がとうていボウイの水準に達するものではなく、迷走の感を強めました。しかも、旧作のCD化が店頭をにぎわすそばでティン・マシーンのセカンド・アルバムなんてものが出たりする。音楽シーンではグランジとヒップホップとハウスの嵐が吹き荒れている頃。ボウイの旗色はどう見たって悪く、言いたくはないけれど、彼は自らの黄金期に負けたのだと思ってしまいました。
 
 「新作のプロデューサーはナイル・ロジャース」と聞いたのは93年の頭だったか、それより前だったか。その場にいた数人と「ナイル・ロジャースだってよ…」と失笑したおぼえがあります。
 言うまでもなく、ナイル・ロジャースは偉大なミュージシャンでありプロデューサーです。80年代の音を浴びるように聴いてきた世代の私がそれを認識していないはずがない。しかし、1993年にナイル・ロジャースとは。
 93年はパール・ジャムの『VS.』とスマッシング・パンプキンズの『サイアミーズ・ドリーム』が出た年です。ベックの『メロウ・ゴールド』とオアシスのデビュー・アルバムが翌94年。ロックのリアルが更新されている真っ最中に、エイティーズの煌びやかな音は死ぬほどダサいものでしかありませんでした。
 それ以上に、ボウイの信奉者にとってナイル・ロジャースは複雑な思いを抱かせる存在であります。『レッツ・ダンス』はポップな良作でしたが、あの大ヒットアルバムを端緒にボウイのスランプが始まったのも否定しがたく、ティン・マシーンの迷走の果てにたどり着いたのがナイル・ロジャーズだったことには、いよいよもってデヴィッド・ボウイの行き詰まりを印象づけられたものです。
 
 『ブラック・タイ・ホワイト・ノイズ』の前年に、ボウイは映画『クール・ワールド』のサントラにReal Cool Worldを歌って参加しています。この曲のプロデューサーがナイル・ロジャースでした。私はそのサントラ曲に対して「意外と悪くない」という感想を持ったものの、ティン・マシーンでのハードなロックが頓挫したから再度こっちに寝返ったんだな、との邪推も捨てきれず。そのくらい、ボウイへの信用度は落ちていたのです。
 『ブラック・タイ・ホワイト・ノイズ』は、基本的にはこのReal Cool Worldの路線を展開しています。
 ボウイがアルト・サックスを吹きまくり、レスター・ボウイのトランペットが重要なスパイスを担っていることなどから、よくアシッド・ジャズ・シーンとの共振を指摘されるけれど、このアルバムでの有機的なグルーヴをおさえた単調なリズムの反復はむしろその対極と言ってよいです。それに、どのみち93年のアシッド・ジャズはアンダーグラウンドでの盛り上がりがひと段落ついた後で、ボウイの先進性にしてみれば数年「出遅れた」感があります。
 加えて、このジャケット。目尻の皺もカッコいいダンディな中年ロッカーの色気を見せつけるいっぽう、グランジからオルタナへと激しく動いていくロックの流れからはすでに取り残された落ち着き具合も窺えます。
 
 そんなわけで、私はこのアルバムをまったく期待せずに手にしたのですが、『レッツ・ダンス』の次にこれが来ていたら良かったかも、という程度には好感をおぼえました。1曲めのインストゥルメンタル、The Weddingの狙いすましたベースのリフが聞こえた瞬間から、聴き手のパーソナルな音楽への渇望にえぐるように届くデヴィッド・ボウイとひさびさに出会えそうな予感がありました。
 その予感はクリームの有名曲をカヴァーしたI Feel Free、ニュージャックスウィングのアル・B・シュア!とデュエットしたBlack Tie White Noise、そしてイギリスでヒットしたシングル曲のJump They Sayと続く序盤までは満足度をもって現実になりました。とくに鉄道自殺で亡くなった兄にインスパイアされたというJump They Sayは、「みんなが『飛びおりろ!』って言うんだ」の歌詞にアーティストであり人間でもあるボウイの告白を聞く思いがしました。この「にじり寄ってくる」間合いはティン・マシーンのラフさを気取ったサウンド以上にロック的な切迫感にあふれるものです。
 
 冒頭のThe Weddingとラストに置かれた歌入りのThe Wedding Songは、結婚したばかりのイマンに捧げたナンバーです。イマンの存在はボウイをクリエイティヴにも刺激したようで、モーリタニア・イスラム共和国の”歌姫”ターラ(Tahra)のT' Beybeyを英語詞のコンテンポラリーR&B風味に仕立て直したDon't Let Me Down And Downのカヴァーも、新婚当初のイマンからのリクエストをホイホイと請け負ってのことだったそうです(この曲は、しかし、オリジナルのほうが何百倍も良いですが…)。
 こうした背景から、90年代以降のボウイをそれまで以上に近づけて語れるのはソロになってからのジョン・レノンのような人間臭いアーティスト像ではないかということを感じますし、ヴォーカルとサウンドの醸し出す重みや肌合いには、もとからあったスコット・ウォーカーの影響がそれまで以上に濃くなっていると思います。
 
 このアルバムではウォーカー・ブラザーズ78年のアルバムからNite Flightsをカヴァーしており、ファンまるだしの歌いっぷりもさることながら、原曲のベルリン3部作にも通ずる味わいと2013年にボウイが放った快作『ザ・ネクスト・デイ』、さらにボウイの2002年の秀作『ヒーザン』の音の響きを並べることで、90年代ボウイの創造性の源の一部を私はこのカヴァーに思い描きたくなります。
 
 カヴァーといえば、ちょっとした話題になったのがI Know It's Gonna Happen Somedayでした。ミック・ロンソンがプロデュースしたモリッシーのソロ・アルバムからの選曲で、オリジナルのほうではロンソンのアイデアでRock'n'Roll Suicideそっくりのエンディングが設けられていたものを、ボウイはゴスペルっぽいクワイアーの高まりをバックにドラマティックに閉めています。ボウイがI Know It's Gonna Happen Somedayをカヴァーすればこうなる、そのまんまの出来が興味深いといえば興味深い。
 しかしながら、アルバムのそこかしこを彩るソウル~ファンク風味の味付けは大成功とまでは言い難く、比較的好評を博したジャズっぽい演奏を含むインストも、私にはあんまり功を奏しているとは思えません。
 
 ただし、「ポップなカルト・ヒーロー」の立ち位置をうまくコントロールできなかった80年代に比べると、ポップとカルトの境目にとらわれず、地に足の着いたロック・ミュージシャンとして音楽と向き合おうとする意志は充分に伝わってきます。それは同年になぜかひっそりと発売されたBBCドラマ『郊外のブッダ』のサントラ盤にも言えることで、まだ本調子とは言えないまでも、少なくとも迷走の時期は終わったのだと実感させました。曲単位では往年のきらめきに肉迫している部分がいくつもあり、90年代のボウイはようやくここにスタートしたのだと言える作品です。
 
 もっとも、この姿勢をより強固に押し進めて、曲をアルバムのコンセプトでガチガチに縛りつけた95年の『アウトサイド』は力みすぎで聴いていて疲れましたが…。
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(『郊外のブッダ』サントラ盤。緩~くアーティスティックな作品集。)
 
 
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