Talking Heads/ Little Creatures(1985) | 勝手にシドバレット(1985-1995のロック、etc.)

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ロックを中心とした昔話、新しいアフロ・ポップ、クラシックやジャズやアイドルのことなどを書きます。

 
 
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トーキング・ヘッズに惹かれたのは、じつは例の映画『ストップ・メイキング・センス』の時。
高校生でしたね。

私もいろんなアンテナを張ってたけれど、中学時代には引っかからなかった。
引っかかってたらどうなったのだろう。中1で『リメイン・イン・ライト』に出会っていたら。
出会った人、いるんだよな、当時。いいな。うらやましいな。
でも、いいとしよう。
なにせ私は『ストップ・メイキング・センス』を見れたのだ。

見終わったあと、私はとにかく超特大サイズのスーツがほしくてたまらなくなった。
デイヴィッド・バーンのように目をむいて瞬きひとつせず、カックンカックンと体を痙攣させて踊りたい!と熱望した。

ヘッズの新しいアルバムが出たと聞いて、私は期待した。
あのカックンカックンを、新譜で聴いて踊れるのだ!
どうにか間に合ったぞ、と安心した気分でもあった。
パンクも間に合わなかったし、ニューウェイヴもなんかバスを一本乗り遅れたみたいだけど、ヘッズのニュー・アルバムでカックンカックンできれば、ぜんぶ帳消し!

にはならなかった。してくれなかった。
ニュー・アルバム『リトル・クリーチャーズ』は、「ワンス・イン・ア・ライフタイム」ともカックンカックンとも、縁遠い音楽であったのだ。
ついでに言うと、エイドリアン・ブリューのギターとも、ダボダボのスーツとも。

曲は悪くないな、と思った。
And She Was、The Lady Don't Mind、Television Man、Stay Up Late…どれもいいメロディーがあって、そこを小さめのジェットコースターに乗ってるみたいに、バーンのシャックリ歌唱が音階を昇降する気持ちよさもある。

 


Stay Up Lateは、歌詞がおもしろかった。
姉に子供が生まれた。あまりに仕種が可愛いので、ついついいじりたくなる。寝させたくない。体をつねって起こしちゃえ。みんなのオモチャだ。
今聴くと、この曲の歌詞とバーンの低音はジョナサン・リッチマンに通じるネジのゆるんだようなユーモア感覚がある。
そういや、ヘッズのジェリー・ハリソンは、元ジョナサン・リッチマンのモダン・ラヴァーズに在籍していた。
曲間でバーンが叫ぶ"I know you wanna leave me!"(もうお寝んねちようとしてるんでちゅか!)が、テンプテーションズの"Ain't Too Proud To Beg"の「俺を捨てようとしてるんだね!」から持ってきたことも、当時ピンときておかしかった。なにせ"Ain't Too Proud To Beg"は、ストーンズがカバーしていたから…

なのに、このアルバムの印象は地味だった。
タイトルと関連が強い曲Creatures Of Loveがスティール・ギターを交えたカントリー風味のものであることも、影響していたと思う。
要するに、私はカックンカックンができないことに失望したのだ!

ところが、最後の最後になって、このアルバムの全編の印象はひっくり返ることになる。
Road To Nowhereだ。 

 

 

 


近年になってCMでも使われたが、これはいい曲だ。
『リメイン・イン・ライト』ではあえてコード進行を取っ払ったアフリカンな曲作りを大胆に推し進めていたヘッズだが、ここでは起承転結がくっきりした、Eの循環コード進行を採用している。
さらにケイジャンふうのアコーディオンが、全体のシンプルさを際立たせているし、風通しがいい。
と思っていると、後半に入るや、バーンの首絞めヴォーカルが炸裂する。
「うぃーろんなろーとぅのーうぇー、ヒッ!ヒ~ッ!!」
さらに言うと、この曲はビデオ・クリップも見事だった。
ヘッズのビデオは傑作が多いが、とくに優秀だと思う。
あの細長い身体で腕と脚を振り回しながら走るバーンの姿が、天才的なセンス。

唖然としているうちに、冒頭と同じアカペラに戻って曲が終わると、もう一度A面に戻って聴きなおす。
そんな具合にこのアルバムは最後と頭に強力なトリモチが仕掛けてあって、最後にヒッ!ヒ~ッ!!を聴いて終わりたいがために、私は何度も何度もこのアルバムへの旅を繰り返した。

そのうち、最初は地味に聞こえたCreatures Of Loveの味わいが深まってくる。
おぉ、そういえば、この曲こそジョナサン・リッチマン的だ!
彼が眉をへの字にして困ったような顔で「クリ~チャ~」と歌う姿が見えるようだ。

ヘッズはここからいわばバンドの晩年に入っていき、そこにはアメリカン・ルーツ・ミュージックとのささやかな乾杯が交わされるようになるのだが、そういったバンドの過程からも、不思議とこのアルバムは自由であるように思える。

かぶれさせてはくれなかったが、忘れられない一枚だ。
どこもめざしていない、どこにもたどりつかない道でくつろぐトーキング・ヘッズが、ここにあるのではないだろうか。