今年も敬老の日を迎えます。
 郷里の、ジジ、ババより電話があり、「この頃地域の民生委員の方の訪問が多く煩わしい」とのこと。
 私は、「白骨化していないかどうかの確認なので、とりあえず二人とも生きていることは見てもらったほうが良いと思う。煩わしければ、白骨に“しない”、“ならない”、“持ち込まない”という非白骨化三原則のポスターでも作って貼っておいたらどうか。」と話しておきました。
 さすがに93歳(介護度・要支援)と86歳(介護度 要支援1)の老夫婦世帯なので、心配ではあります。 
 不肖の息子(私)は、あてにならないとばかりに、二人でがんばっていて、自分たちで、「息子孝行の老人」と言っています。(ある意味正しい。)今度、白骨温泉(信州)にでも連れて行こうかと思います。

 母は、白骨化のニュースを見て、老老介護の息子が、『生活保護申請をした時に、自分より年下の行政職員が、自分を馬鹿にした態度であったので、申請を断念した。母親が亡くなり生活費がなく、止むを得ず葬儀もせず、年金を受給していた。』という報道に、「もぞこくなって涙が出る。」と話し、高齢者福祉の制度の不備と行政担当者の態度を怒っておりました。
もぞこい=不憫だ、かわいそうだの意

さて、行方不明の高齢者の話題は、連日報道されましたが、原因の究明(個人、家族、制度、地域社会の在り方)や再発防止策の検証は不十分でした。「万暦年間から生きている人がいる」などと「トリビアの泉」のような報道もある始末です。
 行方不明の高齢者、行旅死亡の高齢者、白骨化した高齢者は、「自分の人生の終焉を誰にも告げられず」にこの世を去りました。これは、地域社会に生きていたはずの人間を抹殺したことに等しく、個人の全人生を全否定したもので、これ以上の人権侵害はありません。
 高齢者の安心、安全のセーフティネットは、思っている以上に弱く、地域で再構築する必要があります。
 白骨化した死体は我々に何を語りかけているのでしょうか。