2022/06/09 | 山崎勝之オフィシャルブログ「できれば、崎でなく 山竒 で」Powered by Ameba

2022/06/09


母の事を書きたいと思う。

母は糖尿病。
透析を週に3回受けている。

2021年5月30日
母が突然、くも膜下出血で意識不明になった。
この一年は群馬に行く機会が増えた。

自分自身SNSは全く出来なくなったりもした。
楽しい事をしてる場合ではない。

世界はコロナ禍。
病院のコロナ対策は世間のレベルのさらに上。
面会ができない。
会えないけど、パワーを送りたくて、病院の壁に手をあてて祈った。
「早くよくなりますように」

数ヶ月後、集中治療室にいた母の意識が戻ったと聞いた時は嬉しかった。

急に母から電話があった。
着信に母の名前が出た時はびっくりした。
「会社は大丈夫かい?」
会社が潰れて路頭に迷ってる夢を見たらしい。
母の方がよっぽと大変じゃないか。
涙が溢れた。

言葉は弱々しかったが、数ヶ月意識が無かったとは思えない程だった。

少しずつ体調が良くなり、
リハビリの病院に転院して、
母の日常に戻る為のリハビリが始まった。
同じくして自分は肉体改造を始めた。
頑張ってる母に負けないように頑張った。

転院した病院は面会はできないけど、
1階にリハビリルームがあり、窓から様子が見えるのだ。
休みができると窓の外からリハビリを応援しに行った。
(感覚を取り戻す?)マッサージをしてもらうだけのリハビリから、
→車椅子から立つ
→つかまり歩き
→歩行機で歩く
→支えられて歩く
会いに行く度に日常に近づいている。
その実感が嬉しかった。

春に退院した。
が、制限は多い。
お風呂は施設にて、
水分は一日数ミリリットル、
透析は週3回、
病院に通う日々。
それでも嬉しかった。
たくさん話した。
母に久しぶりに触れた。
すっかり痩せてしまったけど、温かかい。
顔や手、髪の毛。自分は母親似だなぁ。

GWに帰省した。
美味しいもの等のお土産はダメだ。
マッサージしかしてあげられない。
でもすごく喜んでくれてるみたいだ。
浮腫んでる足もマッサージで元通り♪
会話しながらの何気ない日々が嬉しかった。

東京に戻る日、急変した。
母が発作をおこした。
苦しさをこらえる為なのか、歯を食いしばってしまう。
舌が挟まって血が流れてた。
初めて見る母の苦しい表情。
兄とふたりでベッドに運んだ。
舌を噛み切ってしまいそうなので、なんとか口を開けようとした。
口にタオルを挟めれば。
ものすごいチカラでなすすべがなかった。
母が無呼吸になるのも怖かった。
兄は冷静で、無呼吸になった時間、回数を数えていた。
救急車を呼び、到着すると、無呼吸の状況等を細かく伝えていた。
父が救急車に付き添い、
兄と自分は車で病院に向かった。
3時間位病院の控室で待ってから、
みんなで説明を受けた。
また入院が必要だという事。
意識が戻るがわからないとの事。

苦しそうな母の顔が残ったまま東京に戻った。
身体中に蕁麻疹がでた。
皮膚科ではストレスと言われた。

不安だった数日間。
苦しそうな母の顔を思い出す。

連絡が来て、リハビリ病院に転院するとの事。
発作は一時的なものだったのか。
今までのリハビリが0からにならずに良かった。
帰省したらまた窓の外から応援しよう。

「今なら(母と)会える」
父から連絡がきた。
コロナ禍なのに?
特例なのだそうた。
嫌な予感。
会いに行った。
面会はひとりずつ。5分位。
少しだけ苦しそうな目を閉じた意識の無い母がいた。
「勝之だよ」
少し反応したように見えた。
すぐに会社の心配をするので、
「会社は大丈夫だよ」
と伝えた。
東京に戻った。

5月27日
撮影前にそろそろ危ないかもと兄から連絡がきてた。
撮影後に帰省するつもりでいた。
仲間に話すと
「今日は巻いて早く終わらせよう」
頑張ってくれた。
撮影途中、
「帰れるならすぐ帰って来い!」
〜と、兄から連絡が来た。
「今日は大丈夫だから早く行って」
キャストスタッフ全員が動いてくれた。
すぐに新幹線に飛び乗った。

病院に着いて、ひとりで病室の前に行くと、
面会前に母への2枚書類にサインをした。
もう日常にもどる為のリハビリはしない書類。
痛いとか苦しいとかが無くなる状態にする書類。
父が了承したけど、サインをもらうのを忘れたそうだ。
サインをして病室に入ると、
目を閉じて静かに呼吸する優しい表情の母がいた。
「勝之だよ。会社は大丈夫だよ」
「今までリハビリおつかれさま」
涙をこらえて頑張った。
その日は一旦実家に帰った。

5月28日
午前中に会いに行って、
5分間色々と一方的にしゃべった。
仕事の事、産んでくれて幸せだった事、色々。
泣きながら。

病院から帰る途中、父に病院から連絡が来た。
「血圧を上限まで上げているが、もう上がらない。透析をすると命の危険があるから、もう透析をやらない方向で…」

いやいやいや、
透析をやらないと命の危険なんだよ?

母の命は数日なのか。

今日から透析をやめるとの事だった。
寝不足が続いていたからか、
23時にはうとうとしてた。

5月29日
0時30分に父に起こされた。
病院から母の時間が無いので早く来てとの事。

父、兄、義姉と病院に向かった。
0時50分には病院に着いた。

面会はひとりずつ、
父から4階の病室に行き数分で戻ってきた。
「0時30分に亡くなったと」

信じられなかった。

父の次に兄が病室に行って帰ってきた。

その次に自分が行った。

脈拍が0と表示されていた。
音は鳴っていなかった。

母の顔は安らかだった。

急な発作の時に見た苦しそうな表情の母がやっと上書きされた。

0時30分に一度脈が止まったけど、
0時42分に戻ってきてくれたんだと聞いた。
少し待っててくれたんだなぁ。

義姉が病室に行って、
その後に父があらためて医師と会い、確認した。

2022年5月29日1時13分に母が永眠しました。

本当に素敵な母でした。

芸能の仕事を最初から応援してくれたのは母でした。
母が押してくれたから今の自分があると思ってます。
もっともっと親孝行したかった。
長期の旅行に連れて行きたかった。
大好きな海鮮料理をお腹いっぱい食べさせたかった。
特にホタテ。大好物だったから。
よく父に内緒でふたりで回転寿司屋に行ったなぁ。
大人になってから実は水菜が苦手と言われた時はすごいと思った。バレてなかったよ!

くも膜下出血で倒れてから丁度一年だ。

苦しさから解放された母と家に帰って来て、
そこからずっとバタバタしてた。

朝方、各方面に電話をして通夜、告別式を決めていく。

5月30日に撮影、
6月3日に撮影が入っていた。

結果
5月29日 東京戻り、準備
5月30日 撮影→群馬へ
5月31日 通夜 
6月1日 告別式 
6月2日 東京戻り
6月3日 撮影
6月6日 撮影

会社の事を心配してくれてた母さん。
うまくスケジューリングしてくれたのかな。

みんな迷惑かけて良いって言ってくれてたのに。
もっと生きてて欲しかった。

頑張れって事なのかな。

ずっと心配してくれてたからね。

迷惑かけずに全部仕事に行けたよ。

頑張らなきゃね。

頑張ります。