1月6日(火曜日)
社伝では、日本武尊の死後の景行天皇46(116)年、日本武尊の妃布多遅比売命が神勅により、御子の建部稲依別命とともに住んでいた神崎郡建部郷千草嶽の地に日本武尊を建部大神として祀ったのが創建とされる。
のち、天武天皇4(675)年に近江の守護神として、現在地の栗太郡勢多へ遷座した。天平勝宝7(755)年には、大己貴命が大和の大神神社から勧請され、権殿に祀られた。
大吉(´0ノ`*)オホホホ(´0ノ`*)オホホー
平安時代中期の『延喜式神名帳』には「近江国栗太郡 建部神社 名神大」と記載され名神大社に列しているほか、近江国の一宮として崇敬された。
源頼朝が平治の乱に敗れて伊豆国に流される道中、本社に立ち寄って源氏の再興を祈願、後に大願成就したことから、出世開運の神としても著名となった。
山梨の日本武尊御手植え、樹齢2千年の山高神代桜の苗木が植えられていた
これが山高神代桜日本三大桜のひとつ。
日本武尊が東夷征定の折りにこの地に留まり、記念にこの桜を植えたのだという。
まだ雪が残ってる
******************************
ランキングに参加しております
1日1回のクリックで
応援よろしくお願いいたします