6月8日(日曜日)
妙晃寺、民家の源平桃と寄り道したが、本来の目的地妙満寺へ
メインの枝垂れ桜は終了していたが、それ以外の枝垂れ桜、紅枝垂れ桜、染井吉野は見頃だった
妙塔山と号し、顕本法華宗総本山。本尊釈迦多宝仏。
1383年5月日什上人が六条坊門室町の冨商天王寺屋通妙の外護を得て、その邸内に法華堂を建立したのが草創という。
1384年中山法華寺から分立。1389年室町の法華堂に妙塔山妙満寺の寺号を立てた。1391年日什は弟子日義に譲り、翌年会津黒川で没した。日什
没後3年目に焼亡し、寺地を綾小路東洞院東北に移したが、応仁の兵火で焼亡するや、再び堀川西、四条綾小路の間に移転した。
1532年後奈良天皇の勅願所となる。1536年延暦寺衆徒による日蓮宗諸寺の焼却という天文法華の乱で、当寺も焼かれ、20世日崇は和泉国堺に逃れ末寺正興寺に居し、正興寺を改め妙満寺と称する。その後、1542年後奈良天皇より帰洛の論旨を賜り、旧地に堂宇を再建した。
1583年豊臣秀吉の命により、寺町二条下ルに移転再建する。その後1628年、1788年と焼失した。本堂は文化年中(1804-18年)に再建されたと伝える。1864年兵火に遭ったが、堂宇はほぼ元のごとく再建される。1968年現在の左京区岩倉幡枝町に移転した。
洛中三名園の一といわれた「雪の庭」は、元禄の頃、松尾芭蕉の師と伝える松永貞徳の造営で、現在地にほぼ古形のままに移されている。この「雪の庭」、積雪した時に見てみたい
境内には枝垂れ桜がいっぱい植えられているが、人は少なくゆっくりと愛でる事が出来る躑躅の頃の方が観光客は多い
(撮影日:4月8日)
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