6月12日(水曜日)
発心寺から後瀬山城址に登る入り口を探すのに、山を2週した
港湾都市小浜を望む後瀬山城
後瀬山城は大永2(1522)年に若狭守護武田元光により築城された事が文献上明らかになっている。
城郭北西部に畝状堅堀や大規模な堅堀を配し、西部への防御を密にした遺構配置を行っており、これは武田氏が若狭守護に任命されて以来、度々確執を招く丹後一色氏を意識している事が見受けられる。
永禄11(1568)年越前朝倉氏の侵攻により、武田元明が連れて行かれたのち城は一時荒廃するが、織豊系武将である丹羽長秀の若狭拝領以降、城郭の再整備が実施されたようで、現在主郭周辺に残る石垣は当該期に築造されたものと考えられている。この後浅野長吉、木下勝俊に引き継がれ、慶長5(1600)年関ヶ原合戦の功により若狭一国を領することになった京極高次が入城した。しかしながら後瀬山城は近世的な城郭としての発展を閉ざした城郭であり、翌6年から高次による小浜城の築城が開始され後瀬山城は廃城となった。 -小浜市教育委員会『史跡 後瀬山城跡』ーより抜粋
武田元光ー信豊ー義統ー元明ー丹羽長秀ー浅野長吉ー木下勝俊ー京極高次
登山口の愛宕神社
登山口に有る案内版
この下に、ステンレス製のパンフレット入れが有る。
登山20分と書いて有り、登るの断念
仕事中でなく、春か秋に登ろうと思う・・・心筋梗塞患者だから、倍の40分かかるなぁ土塁や石垣を見たいよぉ~
写真や縄張り図を組み合わせ、後瀬山城山上御殿周辺測量図、後瀬山城の頃の小浜港町復元想定図等が掲載されている。
内容は、『後瀬山城ー港湾都市小浜を望む山城ー』、『発掘された山上御殿ー文芸に秀でた若狭武田氏ー』、『山下の守護居館ー港町小浜を掌握するー』、『若狭武田氏関連年表』と言う構成になっている。
見開きのパンフレットとは思えない情報量だ
小浜市教育委員会の気合いを感じた
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