1月21日(土曜日)
約1年ぶりの『武田源氏人名辞典』だよぉ~パチパチ
( ̄▽ ̄)=3フーしながら読んでね~
じゃあなくだよ(`∀´)ケケッ
【香宗我部氏】
1193年6月、中原秋家は土佐国香美郡宗我、深淵郷の地頭職に補任されたが、やがて地頭職は秋家が後見していた主家の一条忠頼の子中原秋通に移り、香美郡の地名をとって、香宗我部氏を称し、長宗我部氏と区別した。
中原秋家 (甲斐小四郎)
一条忠頼の家臣。本姓は大中臣氏。1180年の富士川の戦い、1184年の木曾義仲追討に軍功が有った。同年忠頼が源頼朝に謀殺された時に、歌舞曲に巧みの故をもって召出され、土佐国香美郡宗我部、深淵両郷の地頭職となり、主人忠頼の遺児秋通を後見して土佐国へ降った。1193年には改めて将軍家政所下文を得て、同地地頭職に補任された。地頭職を秋通に譲ったのち、香美郡山田郷を拝領して山田氏の祖となったと伝える。
香宗我部秋通 (中原秋通)
武田信義の子一条忠頼の子と伝える。しかし、秋通の名は『尊卑分脈』をはじめ、他の『武田系図』にも見えないから、もともと中原氏であったと思われる。
秋家から香美郡宗我部、深淵両郷の地頭職を譲られた。1201年7月10日北条時政書状に中原秋通が香美郡宗我部、深淵両郷の住民の中に地頭の下知に応じない者が居るとして幕府に訴えていることから、この頃には地頭職を譲られたと考えられ、1223年7月16日付の関東御教書により秋通の地頭職補任が確認されている。
香宗我部宗通 ?-1283
秋通の子。香美郡宗我部、深淵両郷の地頭職。
香宗我部成通
宗通の子。香美郡宗我部、深淵両郷の地頭職。
香宗我部朝通
成通の子。香美郡宗我部、深淵両郷の地頭職。
造手通俊
成通の子。
香宗我部重通
朝通の子。香美郡宗我部、深淵両郷の地頭職。
立山員通
朝通の子。
松岡景通
重通の子。
香宗我部秀頼 1289-1357 (甲斐孫四郎・入道性海)
重通の子。1306年家督を譲られた。1333年6月足利尊氏から長宗我部信能と共に土佐国介良庄における治安維持を命じられている。以後信能と共に一貫して足利方の配下として活躍した。しかし深淵城には香宗我氏と対立する南朝方の武将がおり、これ以降香宗我部氏から深淵郷は離れたようだ。
水谷全心
重通の子。
青井念性
重通の子。
倉町隆海
重通の子。
山本通増
重通の子。
山田基実(九郎)
重通の子。
倉橋十郎
重通の子。
笠原妙海
重通の子。
次回は香宗我部氏②です