1月4日(水曜日晴れ



昨年は、京都の雅な桜に飽きて巨木の桜を見に行った年でした。

樹のパワーに魅せられ、京都の桜は何だったんだろう・・・はてなマークと思った4月でした。

1本桜、最高ビックリマーク


【樹齢約2000年山高神代桜エドヒガンザクラ】山梨

四郎勝頼の京都祇園日記-山高神代桜14

四郎勝頼の京都祇園日記-山高神代桜13

日本武尊が東征の際、この桜を植えたといわれる。また、鎌倉時代日蓮がこの木の衰えているのを見て、祈ったところ蘇ったという伝説がある。

樹高10.3m、枝張り東西17.3m、南北13m、根本幹囲11.8m。

国指定天然記念物。



【樹齢約1500年根尾谷淡墨桜エドヒガンザクラ】岐阜

四郎勝頼の京都祇園日記-淡墨桜6



四郎勝頼の京都祇園日記-淡墨桜10

淡墨桜は蕾のときは薄いピンク、満開に至っては白色、散りぎわには特異の淡い墨色になり、淡墨桜の名はこの散りぎわの花びらの色にちなむ。樹高16.3m、幹囲目通り9.91m、枝張りは東西26.9m、南北20.2m。樹齢は1500余年と推定され、継体天皇お手植えという伝承がある。

467年雄略天皇11年)頃、伝承によれば、男大迹王(後の継体天皇)がこの地を去る時、檜隈高田皇子(宣化天皇)の産殿を焼き払い、その跡に1本の桜の苗木を植える。これは愛知県一宮市真清田神社ゆかりの土川家で発見された古文書『真清探當證』の記述による伝承。 国指定天然記念物。



【樹齢約1000年醍醐桜アズマヒガンザクラ】岡山

四郎勝頼の京都祇園日記-醍醐桜


四郎勝頼の京都祇園日記-醍醐桜7

目通り7.1m、根元周囲9.2m、樹高18m、枝張りは、東西南北に20m。 
桜の種類は、ヒガンザクラの一種「アズマヒガン」。毎年4月の中旬に、微紅色の花を木いっぱいに咲かせます。
後醍醐天皇が隠岐配流の際、その姿を讃えたことにより、「醍醐桜」と名付けられた伝えられている。

県指定天然記念物。



【樹齢300年以上清水の桜アズマヒガンザクラ】滋賀
四郎勝頼の京都祇園日記-清水の桜4
海津のまちはずれの墓地の中に1本大きくそびえる『清水の桜』は、樹齢300年を越えるエドヒガンザクラで、高さ16メートル、幹の周辺6.4mと県内最大級を誇り、県の自然記念物に指定されています。


作家・水上勉の小説『櫻守』で、主人公の弥吉が海津を訪れます。そこでこの巨桜に目を奪われ、その下にある軍人たちが眠る共同墓地に思いを馳せます。戦死すればこの櫻の木の下へ戻ってこられることを夢に描いて召されて行った兵士たち。誰もが手折ったりしない枝を見て、村人が慈しんで育てる巨桜もあるのだということを思い、やがて弥吉もこの木の下に眠ることになるのでした・・・。

また、この桜はその昔、加賀藩主前田侯が上洛の折に何度も振り返り眺めたことから”見返りの桜”とも呼ばれています。例年、海津大崎の桜並木より5~6日早く満開となり、ひときわ濃いピンクが淡緑の山中に映える姿は見事です。
                                     ー(高島市HPより)ー



【樹齢約320年甲斐武田氏ゆかりの王仁桜エドヒガンザクラ】山梨

四郎勝頼の京都祇園日記-王仁塚

四郎勝頼の京都祇園日記-王仁塚2

幹周り3.3m、樹高17m、枝張り東西23m、南北23mのエドヒガンザクラです。

桜のある王仁塚は、日本武尊の王子武田王がこの地を治めた後、葬られた場所と言われれいる。市指定文化財。

力強く、優雅な桜だグッド!毎年見に行きたい恋の矢



【樹齢約280年地蔵禅院の枝垂れ桜】京都井手町

四郎勝頼の京都祇園日記-地蔵禅院6
四郎勝頼の京都祇園日記-地蔵禅院

枝垂れ桜は享保年間に植樹されたもので、円山公園にあるしだれ桜と、親木同士が姉妹木といわれ、京都府の天然記念物に指定されている。樹齢約280年の大木で、現在の円山公園の枝垂れ桜の叔父にあたる。




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