2月19日(金曜日晴れ


趣味で一ノ宮神社巡りしてるチョキ

どこの神社に行っても「立派な朱印帳ですね~」、「久し振りにこんな立派な朱印帳見ました」などと言われるグッド!

実は画材屋で買ってた・・・でも現在、画材屋自体見当たらない(w_-;

四郎勝頼の京都祇園日記-朱印帳3


四郎勝頼の京都祇園日記-朱印帳4

朱印を趣味にする前に、何か所も行ってるけど・・・取り敢えず朱印第1号の肥後一ノ宮の阿蘇神社噴火

日本全国に約450社ある「阿蘇神社」の総本社で、大楼門は「日本三大楼門」に数えられる。

孝霊天皇9年6月、健磐龍命の子で、初代阿蘇国造に任じられた国造速瓶玉命(阿蘇都比古命)が、両親を祀ったのに始まると伝えられる。阿蘇神社大宮司を世襲しこの地方の一大勢力となっていた阿蘇氏は、速瓶玉命の子孫と称している。延喜式神名帳には、一宮が「肥後國阿蘇郡 健磐龍命神社」と記載され名神神社に列している。


四郎勝頼の京都祇園日記-朱印帳5

甲斐武田氏関連で、甲斐一ノ宮の浅間神社桃

社伝では、垂仁天皇8年正月に神山である富士山の山の麓で神祭があり、貞観7年(865年)12月9日に現在地に遷座したと伝えられる。延喜式神名帳で名神大社に列格している「甲斐国八代郡 浅間神社」はこの浅間神社のことであるとされる。


四郎勝頼の京都祇園日記-朱印帳6

下社春宮、毎年2月~7月に神体が祭られている。

下社秋宮、毎年8月~翌1月に神体が祭られている。なので初詣は秋宮で行われる。


四郎勝頼の京都祇園日記-朱印帳7

上社本宮、御神体は守屋山。諏訪造とよばれる幣拝殿の左右に片拝殿が並ぶ独自配置であり、参道から見ると本道がそっぽ(横)に向いているため、「大きく願いごとをしなければ聞いてくれない」と言われている。



四郎勝頼の京都祇園日記-朱印帳8

武田勝頼関連で、信濃一ノ宮の諏訪大社チョキ

上社前宮、諏訪明神の信仰の原点といわれる。宮のみあるが、現在神体は祭られていない。

諏訪大社は上社本宮、前宮と下社春宮、秋宮と4ヶ所有りますチョキ

全国各地にある諏訪神社の本社であり、その起源は定かではなく国内にある最も古い神社の一つとされている。

平安時代ー 江戸時代を通じて上社では諏訪氏が、下社では金刺氏が大祝を務めた。末社は2万5000社に及ぶ。

祭神は上社、 建御名方命(たけみなかたのみこと)と八坂刀売命(やさかとめのみこと) 。下社、上社の2柱の他に八重事代主神(やえことしろぬしのかみ)。


これ2冊目ね音譜

四郎勝頼の京都祇園日記-朱印帳


2冊目の第1号、尾張一ノ宮真清田神社チョキ
四郎勝頼の京都祇園日記-朱印帳2

延喜式神名帳に「眞墨田神社」として記載され、名神大社に列している。古くより尾張国一宮とされ、真清田神社の所在地の「一宮」の地名は当社に由来する。

祭神については古くから諸説あるが、現在は天火明命(あめのほあかりのみこと)とされている。天火明命は、神武天皇33年(紀元前628年)、この地を「尾張」と名づけて開拓をしたという天香山命の父神である。天香山命の子孫が尾張氏され、天火明命は尾張氏の祖神とされる。



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